震災を経て、真の、心の豊かさ、懐の広さが、とても如実にみえるようになった気がする。
ついに今日で3月が終わりました。震災が11日に起きて、あっという間です。本当に。
明日から4月です。いよいよ全てにおけるリカバリープロセスの本格的始動なのかなーって、思います。
ビジネス、ライフスタイル、インフラ復旧、その他災害復興、+原発の沈静。
今年は普段以上に1年があっという間に過ぎ去っていきそうだ。なんだか怖くなってもくる。
自分自身にも言えることなのですが、良くも悪くも、自分の真の姿というか、
心の豊かさ、懐の広さが、とても如実にみえるようになった気がする。
潜在的に気にしていること、こだわっていること、できればそうしたいと願っていること、忌み嫌っていること。執着や躾みたいなものが、とてもよくみえてしまう。少なくとも自分は自身に対して、自分が半ば嫌になるくらいみえる部分はみえてしまった気がしたし、そして自分の周辺の友人知人についても、実は隠されていた本音や本性の部分がかいまみえてしまったり。
別に、「あ、そなんだ。そんなお人だったのね」って感情ばかりではない。「ええーっ!そんなに貴方は実は御心の広い、素晴らしいお方だったのですね・・・御見それいたしました。感銘し敬服申し上げます・・・」みたいに感動させられる人も多々。
おこがましいのを承知で今日は言いたいが、ある意味我々は本音や本性を結構に今さらけ出して、今を生きているようだ。だから、それをきちんと受け入れ、個々の特性や特徴として理解し、あらためて付き合い方を考えないといけないんだなあと思った。
自分はこれまで徹底して性善説を基本に生きてきました。何度もだまされたけど、それでもいいやって思ってた。でも家族もいるし、扶養家族以外にも気にかけないといけない親族もそれなりに年取ってきてるし。人生カウントダウンしてみると、これからは守るべきを徹底して守ることに執着してもいいのかなって気がしました。
強欲になるつもりはないけれど、敵味方はこれまで以上にはっきりさせなければならないのかも。
前の会社で「TALK STRAIGHT」を、今の会社に「WORK AS USUAL」を教わった。
自分もそのうち家族を含めた後進に何かを伝え、残していかねばならないなあ。これからはスタイルを変えていこう。急にはできないかも知れないけれど、自身についても痛いほどいろいろと狭い懐や貧しい心の部分を見つめさせられた気がする。
来月から、もっと変わろう。自分・・・