発案者が一番尊い。
「仕事ができるやつ」への最短の道
※↑huffingtonpostにリンクします。
そうそうそうそうそうそうそうそうそう!!!!!!
叫びたい気持ちです。
ブルーカレント・ジャパンの本田哲也社長も、自身のFacebook上で「無数のブレストやってきたけど、これは間違いない。」と発言されていました。
==(以下、冒頭のブログから引用)==
彼は自分の考えてきたキャッチコピーを披露した。
だが、議場からは苦笑が聞こえるのみだった。それもそのはず、彼が考えたというキャッチコピーはいかにも稚拙なものであり、どう贔屓目に見ても、集客できるようなクオリティではなかったからだ。
すかさず議場からは批判の声が上がる。
「問題はキャッチじゃないでしょう、価格ですよ」
「キャッチというのは間違っていないように思うが、このキャッチではねぇ...」
「なぜこのキャッチが300名以上向けなのか、理由がわからないんだが」
質問、批判が相次ぎ、彼は落ち込んでいるようだった。
だが、部門長は言った。
「非常に良い意見だ。私は気づいていなかった。検討事項に加えよう。」
==(引用終了)==
この部門長ほど、僕自身の懐は大きくないことを恥ずかしく思いました。
稚拙な案に対しては「いまいち」ということもありますから。
一方で、自身が案を出してないにも関わらず、指示もされてないのに(←ここ意外と大切)、堂々と若い人が出した案に対し批判から入るようなこともなるべく避けようとは心がけています。
発案者が一番尊いんです。
経験上、強く思います。
案を出すのは大変、案を批判するのは凄く簡単、と。
そして人は、案を出さず、批判する側に流れるものだ、と。偉くなればなるほど。
これまでのビジネスマン生活の中で、幾度となく、会議の類、意思決定の類は経験してきました。
(経営陣)売上げ1億伸ばせ!
↓
(管理職陣)そのためには夢のある教育サービスだ!考えて!
↓
(現場)提案
↓
(管理職陣)提案に対し「夢がない」「どこがもうかるの?」「いつからやるの?」「ほんとにできるかなあ...」
というパターンが、一番進まないですし、結果として出るプロダクトも予定調和になっちゃいがちです。
またやっかいなことに、こういう場合の管理職陣は
「提案するのは現場の仕事」
「管理職は提案を、組織の中で動くように仕組みを考える仕事」
と言い、そしてこれが、文字面だけ見ると正論なんですね。
提案するのは現場の仕事、とは、管理職になった今、思います。
(注:「やりたい!」と言い出すことが多いタイプなので、現場の時は「好き」で提案してきた人間です。で、それが仕事としても適切だったんだなあ、と思う、ということです)。
一方、「提案するのは現場の仕事」という言葉に甘え、管理職は何もアイディア考えなくて良い、ということにはならない、とも強く思います。
...というか、お題は(上記の事例の場合)「夢のある教育サービスを(組織で)考えてアウトプットすること」であり、現場が思いつかなかったら先に進まない、なんてことをしてはいけないわけで。
僕は自分のタイプ上、管理職であっても、自ら案(キレイなものではなく、発想の原点となるような案)をいくつも考え、ペーパーに表現するるように努めます。そしてその姿を見せることで、部下を初めとする若い人に「案は出してナンボ」という姿勢を見せていきます。心の中で、僕の案を越えるものを考え付いて欲しい、と思いながら。
アイディアを考えるのが「好き」という自分を、「夢のある教育サービスをアウトプットすること」という課題に活かしているわけですね。
自分がアイディアを考えるのが苦手なら、冒頭のブログ引用文のように、若い人のアイディアが、たとえチープなものであっても、拾い、育てる、そういう管理職の姿でももちろんアリ、です。僕から見ると、そういう管理職は、ほんとに素晴らしく、輝いて見えます。
こういう人が「提案するのは現場の仕事」と発するのは良いと思うのですが、自分ができなく、かつ、でてきたものを評論することから入る人が、「提案するのは現場の仕事」と言っちゃいけないと思っています。
確かに「管理職は提案を、組織の中で動くように仕組みを考える仕事」なんですが、それ"も"仕事、であって、提案そのものがなければ、何も生まれないわけですからね。
アタリマエに思うことであっても、具体的に案として表明したものを尊いと思い、それを起点に前に進める、そして実行する。
幾度となく、そんな雰囲気のチームと仕事を進めてきたことから、これが未来を創る上で、組織上、もっとも大切な姿勢の一つだと思っています。
※本ブログはZ会ブログ「和顔愛語 先意承問」2014年6月26日の内容を一部修正し掲載しています。