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【8月12日】坂本九と日本航空123便事故

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また8月12日がやってきます。日本航空123便の事故の日です。

26年前の1985年8月12日、18時12分に羽田を離陸して大阪伊丹へ向かった日本航空123便は、その12分後に伊豆半島下田市東方の上空で、「ドーン」というような音とともに操縦困難なトラブルに見舞われました。緊急事態を宣言して羽田に戻ろうとしましたが、機体の向きを変えることもままならず、18時56分過ぎに群馬県の御巣鷹山付近の尾根に激突しました。

この事故の死者は520名、奇跡的に救出された生存者はわずか4名でした。日本の航空史上最大の事故です。この事故で現場から回収された遺体は、藤岡市内の体育館等にヘリで運ばれました。墜落の衝撃で満足な遺体が少なく、身元確認作業は8月14日から12月18日まで約4ヶ月(127日間)にわたりました。

公式の調査結果では、同機が1978年に伊丹空港で起こした着陸事故の後でボーイング社の修理が不十分であったため、圧力隔壁が破損したことが事故原因とされています。

この結論については、圧力隔壁破損に伴う急減圧があったかどうかについて意見が分かれていて、調査結果に疑問を持つ関係者がいます。中には「本当は自衛隊の訓練標的と衝突したのが原因で、事故を隠すために戦闘機がミサイルで撃墜した」というトンデモ説まであります。いくら命令が絶対の自衛隊であっても、日本の上空で日の丸を付けた民間機にミサイルを発射できる自衛官がいるわけないですけど。

歌手の坂本九は、この事故で亡くなりました。東日本大震災直後にテレビCMがAC一色になっている中で、坂本九が生前に歌った「上を向いて歩こう」と「見上げてごらん夜の星を」を、総勢71人の有名人がリレー形式で歌い継ぐサントリーのメッセージ広告が話題になりました。

日航機事故で亡くなった坂本九の歌が、26年後の大震災で再び注目されていることに、不思議な縁を感じます。

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