鈍感力とスルー力(するーりょく)
私が物書きを始めたのは、2002年で、その年創刊された日経BP社の「日経ITプロフェッショナル」という月刊誌がデビューだ。
最初は3か月、せいぜい6か月ね、ということで、ど素人の物書きが毎号6ページのコラムを書き始めたのだけれども、(6Pというのは、1万文字くらい。原稿用紙25枚程度)
読者評価が結構よかったこともあり、ずっと続いた。今思えば、ずいぶんと挑戦させていただいたものだと感謝しかない。
その後、合併の上、新刊された「日経SYSTEMS」まで続いて、そこから、「日経コンピュータ」も2年。
紙の雑誌は、合計2002年から2009年までずーっと書き続けていた。
2009年の夏から、初めて、電子的な媒体に移った。
最初は、日経BP社が試み的に始めた無料サービス「携帯に毎朝コラムを配信するよ」という「朝イチメール」に参加。
この時は、毎週2000文字のコラムを書いていた。
紙ではなく、電子ではあったが、ネットではない。
2010年から、日経ITproやアイティメディアという、本格的なネット媒体に書くようになった。
このブログを始めたのも、Twitterを始めたのも、2010年だ。
紙デビューでつくづく良かったと思う。
紙媒体に、延べ9年も書く機会を得られて本当に良かった。
編集者が付いている状況で、文章修行が出来たことは、今となってはありがた過ぎるくらいだ。
アイティメディアの他のコラム(「言葉のチカラ」「上司はツラいよ」など)は編集者付きではあるし、一応、各方面に気を遣いながらも、自分の考えや経験を書いている。
一方、当然のことながら、このブログは、私自身の判断だけで内容を公開している。
ブログもコラムも気楽な気分で書いてはいるが、気分の問題であって、当然のこと、それなりに気を遣っている。
行間を読み誤られたらどうなるか。
誰かを傷つけないか。
あらぬところから苦情が来ないか。
「なんかテキトーに書いているでしょー、このブログ」と思われるかもしれないけれど、(実際のところ、そういう面もないわけではないけれど)
それでも、一応、様々な配慮はしている、つもりである。
(紙の媒体がデビューでよかった、というのは、そのことである。編集者がついていることで「OK」「NG」が分かったし、編集者との会話で、問題になる事例を耳にすることもあったし、とにかく、鍛えられた)
・・・で、やはり、
ネットというのは怖い。
気を遣っているつもりではあっても、
ある一部だけを読んで、「あほバカ死ね」的なツイートとか、「あほバカ死ね」的なコメントが届くことがある、ごくごくたまに。
「全文はきっと読んでないな」「タイトルだけ見て反応しているな」と思うこともある。
怖い、怖い、怖いよぉー。よく考えたら、怖いよぉー。
まあ、たいていの場合、「あほバカ死ね」は、匿名な人物からのものなので、気にすることはないと考えようとしているが、
それでも、時々目にすると、心いたむ。
ネットで物を書くということは、「鈍感力」と「スルー力」も同時に必須なのだ。
ある編集者は、こんな風に言っていた。
「あほバカ死ねー」とコメント付きで、コラムやブログのURLを載せてくれているのだから、
「PVが増えた!」と前向きに思った方がいいですよ~♪」
またある編集者は、こうも言っていた。
「誰にも読まれない記事が一番ダメ記事です。
賛否両論、いっぱいあるのが、一番いい記事です。」
そうか、否定、反論、「あほバカ死ね」も、意見が活発に飛び交うきっかけになるという意味ではいい記事なのか。
・・・というわけで、
ネットで物を申すためには、「鈍感力」と「スルー力」も備わっていたほうがいいよね、というお話でした。
なお、「あほバカ死ね」は、単に「例」であって、実際に「あほバカ死ね」がセットで届くことはない。
それと、これは、以前、Tweetで見かけて、気に入ってるフレーズなのだけれど、
「誰かのことについて、"死ねよ!"なんてつぶやいて、本当にその人が死んでしまったりしたら、
発言したほうも後味が悪いので、"死ね"と思ったら、"うんこ踏め"と置き換えたらいいと思う」
こんな文章が140文字以内に書かれていたのを見て感動した。
「うんこ踏め」、いいですよね、これ。
私もたまに使います。「うんこ、踏んだらいいのに」・・・。