「studygift(スタディギフト)」の騒動に考えるクラウドファンディングの役割
学費支援のプラットフォーム「studygift(スタディギフト)」の騒動については、すでに多くの方がご存知だと思います。
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運営の仕組みとコンテンツの両方に問題があった
studygiftについては、いろいろなところで取り上げられていますので、あまり細かくは書きませんが、私は運営の仕組み(プラットフォーム)とコンテンツ(今回の坂口綾優さんのプロジェクト)の両方に問題があったと思います(もちろん、コンテンツの確認不足は運営者側の責任ですが)。
私が感じた運営の仕組みの大きな違和感は、学費支援を得るためにクラウドファンディングというプラットフォームを利用したこと、そしてその運営者が非営利団体ではなく営利団体であったことです。仕組みとしての不平等さや、個人のプライバシーを公開し、いわば商品のようにしてしまったこと(たとえ本人が望んでいたとしても)も好ましくないと思います。
奨学金という仕組みは誰にでも与えられるという性格のものではなく、設定された条件をクリアすることが大前提だと思いますので、クラウドファンディングでそれができるようになると、奨学金制度自体の本来の趣旨や価値が貶められてしまうと考えるからです。
「市場の論理」と「道徳的な観点」のモノサシ
また、騒動がここまで大きくなった理由のひとつには、その論点が「市場の論理」と「道徳的な観点」のせめぎ合いであったことが挙げられると思います。個人の道徳観については、その尺度を測るモノサシはまちまちで、誰もが納得する標準的なモノサシが存在しない(誰もが納得する答えがない)ということだと思います。
市場の論理で考えれば、一見何ら問題がないようにも思えます。「賛同できなければ応援しなければいい」という考え方です。但し、私の道徳観ではクラウドファンディングは「返済の必要がない」という特徴も持ちますし、学費支援は扱うべきコンテンツではないと思います。
クラウドファンディングが役割を発揮すべき場所とそうではない場所
クラウドファンディングは新しい仕組みですが、この数カ月の間に国内においても多くのサイトがスタートしました。但し、その扱うコンテンツやプラットフォームの完成度については玉石混交の状態です。
米国では、専門機関「crowdsourcing.org」がクラウドファンディングプラットフォームのための基準「The Crowdfunding Accreditation for Platform Standards (CAPS)」を定め、業界全体の透明化に努めています。国内にはそのようなものは、私の知る限りではまだ存在しません。
このような状態にある時期だからこそ、クラウドファンディングがその役割を発揮すべき場所と、そうではない場所について、運営する側が真摯に考えるべきではないでしょうか。私は学費支援については「そうではない場所」であると考えます。
クラウドファンディングは、そのルールさえ守れば(現時点では自主的にですが)とてもいい仕組みだと思います。ソーシャルメディアなどを経由してたくさんの人にリーチすることができ、たくさんの困っている人を支援することができる大きな可能性を秘めているからです。そのクラウドファンディングの希望の灯りが、今回の騒動で小さくなってしまわないことを願います。