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IT業界につとめる「雑貨屋(なんでも屋)」が、業界の事、情報セキュリティの事、趣味や日々雑感を綴っていきます。お暇な方はおつきあい下さい。

派遣社員としての矜持の話

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 佐藤@IT雑貨屋です。

 長らく雑談について書いていませんでしたが、ここら辺で少し雑談を書かせて貰います。

 今の仕事場にも最近になって、新入社員が配属されてきました。彼ら、彼女らは20代前半で、私にとっては子供と同じ世代です。見ていてなんともフレッシュで若々しいですね。

 テレワークが主な業務形態なので、実は未だ「リアル」に会話をした事がありませんが、恐らく我が子と会話する様な感じなのではないかと思ったりします。
 新入社員は4月に入社してから、2カ月に渡り各種研修や、キャリアマップの検討などが行われていたと聞いています。なんでも研修の中には、模擬的な社内打ち合わせに参加させて、その議事録をまとめるという内容もあったそうです。またキャリアマップの検討には、マネージャ-クラスを始め、先輩社員を交えてのディスカッションを行ったとも言いますから、私から見たらまさに「手取り足取り」の研修内容にも思えたりします。

 前の記事にも書きましたが、私の新社会人生活は、小さいソフトハウスでの中途採用から始まりました。そこでは一切、研修らしいものなんてなく、同じ時期に中途入社した人達(全員、業界経験者)の中で、即日、業務に突っ込まれて過ごしました。

 だからまともな「社会人研修」というのは、一度も経験した事がありません。

 上司から書類を渡され、送り先の名刺を貰って「ここに至急、この書類をFAXしてくれ」と言われたのですが、それまでFAXなんて弄った事がなく、当時、FAX装置は営業部署にあったのですが、使い方が判らずモジモジしていた所、営業サポートの女性社員の先輩からFAXの使い方を教わったり、お客様先でトラブルが発生した時には、フロッピーディスクを渡されて、現場でトラブル解析をして対応して来いと言われ、慣れない客先でCADシステムのトラブルの再現試験を行い、何とか対処したのですが、対処の仕方が悪いと上司から叱責されたりする毎日でした。

 挙句の果てには、部内の定例会議の席上、各担当者には仕事を割り振られていたのですが、そこに私の名前はありません。その事を会議の終盤で上司に質問すると。

「あー、佐藤君は仕事が出来ないから何もしなくて良いよ。私は仕事が出来ない人間は嫌いなんだ」

 なんて事をあからさまに言われてしまい、途方に暮れた事もありました。

 そこからパソコン端末の事、当時はMS-DOSを使っていましたので、そのMS-DOSの仕組みについて必死に独学で勉強しました。幸い、社内には多くの技術書があり、また利用していないPCを1台(PC-9801 VM)、私専用で利用しても良いと言われましたので、それを自席の脇に持ってきて、他の人達が仕事に励む中、一人でコツコツと勉強しました。

 そんな事を3か月ほどやっていた時、当時の社長が「佐藤、ひとつ仕事をやって見るか」といわれ、引き受けたのがデバイスドライバの維持開発の業務でした。言語はアセンブラで、社内にはアセンブラ経験者が居ない中、8086アセンブラのマニュアル片手にソースコードを読み解き、何とかその仕事をこなす様になっていきました。

 今から考えたら、これは「荒療治」の社内研修だったのかもしれませんが、お陰様で当時の社内でデバイスドライバについては、私の右に出る人がおらず、その部分に関しては完全に私の専門分野にする事が出来たのです。

 それからは知人の会社に転職したり、知人と一緒に会社の経営に携わったりもしましたが、そこで得た様々な経験が、今の私のベースになっています。

 また35歳で転職した会社で、今の仕事場にSESで派遣されました。

 それまでの私は基幹業務のアプリケーション開発を主に行っていましたが、今の仕事場はネットワーク関連の業務です。ここで仕事はまた降り出しに戻された感じでした。

 ただここでの仕事は、単純なテクニカルな業務だけではなく、契約関連、運用関連など多岐に渡るもので、同じくSES派遣で来ていたエンジニアはどんどん脱落して行きました。要はエンジニア的な思考だけでは捌ききれない内容だったのです。

 一般的な正社員とは違い、派遣されるエンジニアというか要員は、即戦力としての能力を求められます。しかしながらそこには「手取り足取り」といった研修なんかは存在しません。あるのは業務説明書やサービス仕様書、時には関連する技術参考資料と言ったものです。それを空き時間に眼を通し、社内にいる正社員と共に業務に取り組み、場合によっては関連ベンダとの協議にも参加をしなければなりません。

 この後、請負という立場から特定人材派遣という立場も変わりながらも、様々な業務を行ってきましたが、何とかこの年齢まで生きていたという感じでいます。

 私は19歳から社会人となり、今年で38年になりますが、そのうち20年は派遣という形態(契約内容は別にですが)で仕事をして来れました。途中2年間はセキュリティコンサルタントもやっていましたが。。。

 ここまで生きて来れたのは、今考えれば19歳の時に入社した時、そこで受けた、いまから考えたら「理不尽」とも思える社内研修があったからかもしれません。不明点があれば、それが理解できるまでコツコツと取り組む。分らない事があっても安易に人に聞くのではなく、不明点を自分なりに掘り下げた後、ポイントを絞って要点だけを確認する。こういった事が、とても役に立っていたんだなぁと、最近になって身に染みて実感しています。

 この経験が今の私にとっての「派遣社員としての矜持」にもつながっています。

 最近、ニュースなどでは「外線電話は上司が取ればいい」「新入社員に取らせるのはおかしい」という話を聞きました。また新入社員に先輩や上司が気を使い、ソフトに接する事に気を使っている様ですが、その結果「この仕事では私の成長は無い」と退職してしまう新入社員も居たりすると聞いた事があります。

 私なんかは新入社員当時から経験者と同列に置かれ、派遣社員になってからも経験者と同列に仕事をする必要にかられて生きてきましたので、今のこういう新入社員の状況を聞く度に、果たしてこの先の日本社会は大丈夫なのかと、まさに「イマドキの若い者は」という台詞を呟く過去の大人たちそのままの感覚を覚えたりしてしまいます。

 でも新たに社会人になった若者たちは、彼らなりに悩んでいる事だと思いますので、そこは「暖かい眼」で見守っていくしかないのでしょうね。

 ちょっとした、シニアに片足突っ込んだオヤジの戯言の様な記事を書いてしまいました。

 ここまで読んで頂きありがとうございました。

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