オルタナティブ・ブログ > IT雑貨屋、日々のつづり >

IT業界につとめる「雑貨屋(なんでも屋)」が、業界の事、情報セキュリティの事、趣味や日々雑感を綴っていきます。お暇な方はおつきあい下さい。

ゆるブラックと社会人としての成長

»

 早い物で間もなく10月も終わってしまいます。今年もあと2カ月と少しとなりました。

 今日は年休を取って、朝から自宅でノンビリと過ごしていましたが、朝の情報番組の中で最近の若者世代の中では「ゆるブラック」という話題が持ち上がっているという事を見ました。また「ホワイト過ぎる職場」で自身のスキルの向上を見込めない事から転職するという話もある様で、私の若い頃の時代とはかなり変わってきているんですね。

 番組の中では、シニア世代の人が、そんな若い世代の意見に「甘すぎますね。」というコメントもありました。

 でも私は家の子供からも「昭和世代」と言われていますので、時代も変わったという事なんでしょう。今や「令和」。私も若い頃、当時の先輩に「ジェネレーションギャップ」なんて言葉を言った事がありますが、考えてみれば「今どきの若い者は」という言葉は、古代の石板にもあったと言いますので、人類の歴史では常にあった事なんでしょう。(随分と広い範囲の話をしてしまいましたが)

 私が社会人になったのは19歳、今から37年前の事でした。

 本当はイラストレータになりたいと、都内のデザイン専門学校に通い、そこを中退して小さいデザイン事務所に就職しました。しかし良く言う「夢と現実は違う」という事もあって、半年待たずに退職しました。

 退職したのは良いけれど、まさか無職でプラプラしている事も出来ず、当時勢いのあったIT業界のシステム開発会社に中途採用で就職、仕事はプログラマーでした。何故プログラマーにしたかと言えば、高校時代に情報技術の基本を専攻していた事もあったからです。

 まあ個人的にプログラムを組む事が好きだったという事もありましたけどね。

 私が就職したシステム開発会社は今で言えば「ブラック企業」そのものでした。朝、事務所に行くと上司は物置の段ボール箱の上で寝て居たりして、あまり自宅に帰っていない様子。私も仕事を覚え、ある部分の担当を任される様になってからは、帰宅は23時を過ぎるのは当たり前で、システム納期間近になると会社に泊まり込み、2~3日は自宅に帰れない事もありました。

 特に大きなシステム開発に携わった時には、朝方4時まで仕事をして、始発電車で家に帰るも、自宅に着くと会社の上司から電話が入り、会社に呼び戻されるという事もあったりして。当時は某栄養ドリンクのCMでも「24時間♪戦えますか♪」という歌も流行っていましたが、その様な生活をした事もあります。

 しかしそんな中でも私は自分のスキルを付ける事が出来たので、その後、知人に呼ばれて転職し、その後も別の知人に呼ばれて、その会社で新しくシステム開発部門の立ち上げを行い、取締役を任されたりもしました。その後も幾つかの会社を渡ってきましたが、今は派遣社員という形ですが、某通信会社でサービス企画の業務を行っています。この仕事も間もなく20年を越えますが。

 さて、ちょっと今日の番組を見ていて考えたのですが、スキルを磨くのに「ホワイト企業」では駄目なのか、果たして「ブラック企業」の中には、そういった個人のスキルを磨く機会を得られる会社があるのか。つまりより厳しい環境の中に身を置けば、自分のスキルは向上し成長する事が出来るのでしょうか。

 どうなんでしょうかね。

 私は今の通信会社に来るまでは、今の社会でいう「ブラック企業」で仕事をしていたと言えます。自分が会社の役員になっても、俗にいう「プレイング・マネージャー」的な立ち位置でもあったので、ある時には社員を2~3日、会社に泊まり込ませた事もあったりしました。その後、社員からは「御褒美」をねだられたので、当時は会社近所の割烹料理店へ連れて行き、フグ料理を振舞った事もありました。(これは完全自腹で痛かった・・・・)

 幸いにも私は二十年程前に所帯を持つ事も出来て、今では子供2人を何とか学校に行かせながらも、この年齢まで家族を食わせるだけの収入を得られる仕事をしてくる事も出来ましたのも、過去の様々な経験から得たスキルがあったからだと実感しています。

 私の場合はどうだったんですかね。確かに私は最初の会社に入った時から「どこでも通用するスキルを身に着ける事」は常に意識をしてきましたし、その後、幾つかの会社を渡り歩いて来た時も「ここではこんなスキルを身に着けよう」と、常に自分で意識をしてきました。
 しかしこれには「会社依存で生きて行く」という事が難しいという事が常に私の仕事の背景にありました。具体的に言えば所属していた会社は常に小さな会社だったので、例え正社員になったとしても、その会社は永続的に続くという確証を得られるものでは無かった事も大きな動機だったのです。

 この姿勢を知人には「マグロの様な人間やな」と過去に揶揄された事もありました。つまり生きて行くには常に泳ぎ続けて、口をパクパクしてなければならない、という感じです。

 思うに個人のスキルと言うのは、座して職場にいて日々の業務を経験していく先に、安易に得られるものでは無いと思うのです。それには「ホワイト企業」であろうが「ブラック企業」であろうが、あまり関係ありません。
 大事な事は、自分が仕事人としてどの様な姿や立ち位置のプロとなるのか、そのイメージを持ち続けながら、今いる場所で努力をする事なのではないでしょうか。もし若い年代でそのイメージを持てないのであれば、そこはしっかりと自分の中に作る上げる必要があります。

 また人生の途上では、職場を変える事があるかもしれません。昔は「石の上にも三年」と、一つの職場で頑張り続ける事が大事と言われていましたが、これからの時代、終身雇用制度をとっていた昔の日本の会社とは異なりますので、自分で必要と思うのであれば転職はすべきだと思います。
 しかしその転職にしても、しっかりとした自分の「キャリアプラン(思想)」があって行うべきであって、それ無しに安易に転職を繰り返してしまっては、結果として自分自身の中に何もスキルを作り上げる事すら出来ないので注意が必要です。

 スキルが無ければ、当然、年齢が上がっても収入を上げる事は難しくなります。そうなると例え所帯を持ったとしても、男の場合、家族との生活を守る事すら厳しくなりますからね。

 ちなみに私は三十代後半から、ネットワーク技術について学び始めました。今の通信会社に派遣されてから、ほぼ独学で学んできました。派遣社員に対して派遣先の企業がじっくりとキャリア育成するという事はありませんので、そこは完全の独学で学んできました。
 私はアプリケーション開発に対する経験や技術はある程度ありましたが、ネットワークに関する技術はズブの素人だったのです。しかしそんな私も既に二十年近く、今の通信会社で仕事をやってくる事が出来ました。これも私の「キャリアプラン」に対するこだわりと、業務の中で必死に学んできた結果だと考えています。

 これからの時代、若い世代の人達は私達が生きて来た時代とは、また違う時代を生きて行かなければならないと思いますが、ブレずにしっかりと、社会の中でそれぞれスキルを作るために頑張って頂きたいと思っています。

Comment(0)