「鳥にとっての空気、魚にとっての水、人にとっての自分自身」は身近すぎて当たり前なものだから、敢えて意識する心がけ
タイトルは「ヒンドゥーの格言」です。当たり前のように感じていることの「当たり前」ってなんでしょう?いつものことだから・・・と感じることを、一歩引いて見てみるように心がけています。が、気がつくと「自分専用のモノサシを当てている」ことが多くあります。なのでセンチメートル以外のインチとか、土俵をリングに変えてみるとか、単位や状態を変えてみる視点を大切にしています。
要するに、誰もが自分の知っていることだけが普通だと思っているので、自分の置かれた環境のことは忘れやすいのです。他の人にとっては、その環境がどんなに変わったものに思えても、その環境の中にいる人はそれに気付きません。
毎日会社に通っていると、会社が世界の中心のように思えるかもしれませんが、この世のすべての人が同じ環境(会社)にいるわけではありません。また、誰かが何かを変わってると思う時、またはあなたのした事が「それ変だよ!」と言われた時、それは単に違う言葉や物を使っているというだけかもしれません。
と言われても。。。中々身につくものではありません。だから「心がける」ように意識しています。
自分の常識が世の中の非常識って結構多くあると思うのです。小さい頃からの習慣とか、ローカルルールとか、自分の知っているものと違った場合など、やはり違和感を感じてしまいます。「それ違うんじゃない?」と。
自分を中心に見れば、確かに違います。今までの「自己常識」に当てはまらないし「自己基準」にも合いません。そんなときに大きく違和感を感じてしまうのですが、もしかしたら・・・と真逆に考えて見ることをしています。
これ、意外と面白いもので、従来だったら受け入れ拒否な感覚だったものが、もしかして・・・と思うことで「すんなり」と考えられます。おそらく第三者的な立場で考えているからだと思います。これを実践するようになってから、ものの見方が随分変わりました。別に自分を変える必要もなく、別視点から考えるだけ。受け入れがたければ「そんな考え方もあるんだねぇ」くらいで良いと思っています。
100人いれば100通りの考え方があって「当たり前」である。と頭で理解してもダメな訳で、単に「そうなんだ・・・」と思うようにしています。と言いつつも、思考が先行していることが多くあり、余計なことまで先回りして考えてしまうものです(笑)
最近思うのは、知識をどれだけ詰め込んでも、知恵に変えられなければ応用は利かない。知らなければ知る以外に方法はありませんが、自己吸収して自己体験と重ね合わせてこそ、はじめて身についていくのだろう。。。と感じています。
どんなことでも、ちょっと視点を変えることだけで、随分と違った風景が見えるものだなぁ…と感じている今日この頃です。