巨大メディアGoogleが、知識を支配する日
Googleが7月23日、昨年末から非公開の招待制でテストしてきたナレッジ共有サイト「Knol(ノル)」の一般公開を始めた。
Knolは、特定の分野に精通する有識者が書いた解説記事を掲載し、その情報を読者であるユーザーと共有・拡充していくことを目的としたサイトである。
Googleによると、Knolの目指す姿は、特定のトピックを検索する人が最初に読みたいと思ってアクセスするサイトだという。そのため、オンライン百科事典「Wikipedia」と同様、あらゆる分野およびトピックをカバーしていく計画だ。
Googleを使っている人は、どれくらいいるのでしょうか?
私はブラウザー(伸ばすようになりました。前回記事)にも、Googleのツールバーを入れています。何が便利かって、ツールバーでは、入力文字に対して予測される候補を出してくれます。これはとても便利で、お気に入りだったりします。またGoogleが提供するフリーのツールもPicasaやデスクトップ検索・・・ Earthも使ってます。いやぁ、便利なものです。ありがとうございます。
1.こだわった執筆者の記名入り
従来のWikipediaと大きく異なる部分の1つですね。記名入りもそうですが、識者による執筆に、従来通りに誰もが、参加できるという、ミックスジュースになりました。いいとこ取りの良い部分ですね。
2.懸念される編集責任の所在
私が今書いているブログは、誰のチェックも入らずにWebに投稿出来ます。それは、影響度もなく「ふーん」とか「何を言ってるんだか?」などと、読み飛ばしても、大して問題がない。と勝手に思っております。
確かに、他者の目が入ることで、内容に問題があった場合や、不適切なものだった場合などに、有効であると考えます。
このあたりまでが、Googleというネットの巨大なメディアに支配される脅威です。
前置きが長くなりましたが、その続編
引用しても、「良い」と誰もに思われる、格と言うか、正しさと言うか、knolに書かれていたなど、良いモノに、knolはなっていくと思います。
厳格な編集責任は、knolに限らず、常につきまとうものでしょう。テレビ?ニュース?新聞?インターネット?乱暴な言い方をすれば、それらは「本当に正しいのか?」と。立派な格があるはずの、メディアにおいても、そう思うこともあります。
しかし、情報を自分独自で入手することは、到底ムリなことです。だから、それらの媒体から知る意外に、すべがないのが現状です。大人の都合による、フィルターがかかっていることを、感じる時もあります。
アル・ゴアの「不都合な真実」ではないですが、「都合良い虚偽」かもしれません。
便利なモノに慣れていくと、それに依存するようになっていきます。時間と共に、それに大きく依存していたり、それは無くなっていたり、右肩上がりか、左肩上がりに成長していきます。
世の中のすべてのことを、誰でも知っている。訳じゃないので、どこかから知識を持ってくるしかないです。バカボンのパパは、自分が知らないことに直面すると「国会で青島幸男が決めたのか?」というセリフを思い出します。
で、knolを知ったときに思いました。
検索エンジンでも、ある国においては、あるキーワードを、検索結果から除外します。仕方ないことなのでしょうが、簡単に調べる便利な道具を持ってしまった、我々は、それがいずれ・・・普通になる。という恐さを忘れてはならないと思います。
knolについても、そこにない情報は、インターネットにはない。のと同じになってしまいます。
知識媒体として、有効に活用すれば、とても便利なものです。が、知識だけでは、どうにもならない知恵を知っておかないと、単に誰しもが同じレベルでしか知ることの出来ない媒体に過ぎません。
必ずある、その反対側や見えない側。
知識は支配されるかもしれませんが、知恵を支配することはムリでしょう。ただ、そう錯覚しそうになる感覚は、「誰にでもある」ことを、改めて知っておきたいと強く思いました。