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夏目房之介の「で?」

海野つなみ『逃げるは恥だが役に立つ』(1~8巻 2012~16年)

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海野つなみ『逃げるは恥だが役に立つ』(講談社 1~8巻 2012~16年連載)
 TVドラマを終わりのほう断続的に観て、最終回前の総集編を観て、面白かったので全巻購入。ドラマの最終回で何となく「あ、けっこう今の人たちの'生き方'について、客観的で戦略的な観点を持った原作なのかも」と感じたので、その興味があった。まあ、そこまで意図的なものではなかったが、かなり理知的な原作者で、ごく身近な問題に関するカテゴリーの作り方が非常に論理的かつ功利的で、マンガとしても面白かった。とくに僕は3巻以降、作者が次第に作品の本当の意味に気づいていって、盛り上がったように思う。
 僕は、ふつうにマンガを読むときでも、何か気にかかったり、ここは興味深いと思うポイントで付箋を貼るようにしている。仕事で何か使える記憶がある場合に検索の助けになるからだ。その付箋が、『逃げ恥』全8巻の場合、圧倒的に2~3巻に集中している。2巻でけっこう分析する理屈の面白さが出てきて、なるほどこれがこの作家の「小賢しさ」(主人公のトラウマになった言葉だが、じつは作者自身にも当てはまりそうな性向であり、かつここではほめ言葉)なのね、と思った。それは、作品がそれなりに軌道に乗り、人気も出てきたのを感じて「これでいける」と作者が思ったがゆえに出てきた側面のように思えた。で、事実ドラマはそのラインで盛り上がっていき、ドラマが駆動していった印象だった。
 TVドラマは、なるほどマンガ原作の面白さの核は理解していたと思う。そのうえ、TVのエンタテイメントとしての面白さを保証すべく、ガッキーと星野源を中心とする絶妙なキャスティング、映像や展開のポップさ、音楽と踊りなど、生身の人間が演じ、音のある映像メディアの強みを生かして、じつによく作られていた。その分、最終回ではTVドラマなりの回収をしなければならず、それはそれで多くの視聴者にとって何の問題もないものだが、原作が持っていた戦略的な面白さはやや棚上げにせざるをえないところがあった、というところか。
 その後、いくつか周辺での評判を聞くと、マンガのほうが面白いという感想と、TVのほうが面白かったという感想の両方があるようだった。僕個人でいうと、その双方が理解できる感じだ。TVはTVなりに面白かったし、マンガはマンガで面白い。そういう意味ではかなり幸福な映像化作品になったのかもしれない。
 マンガ作品は、じつはほとんど棒立ちの人物たちによるディスカッションドラマであって、動きとかがあまりない。もともと、そういう絵柄の作者ではないのだろう。絵として「うまい」というより、様式化された演出と記号化された人物によるマンガとしての展開が洗練されているというタイプのものだ。その点、映像的な運動と生身の役者による面白さを重んじて観ればあきらかにTVのほうがビビッドで面白い。
 しかし、ディスカッションの繊細さや、人の心理の微妙な揺れ動き、何よりもこのドラマの展開によって、ある種の人生の問題に対して「役に立つ」作品にしようとしている作者の意図の面白さは、圧倒的にマンガで味わえる。マンガのほうはまだ完結しておらず、これからの展開でその真価が問われるわけだが、期待したいところだ。こういう理屈っぽい作家の作品は、元来なかなか大きく注目されることは少ないだろうが、TVの評判によって注目されることになったのだとすれば、それはそれでいいことだと思う。

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