9.25「マンガと暴力」(2)『ザ・ワールド・イズ・マイン』講義レジュメ
2008.9.25 特別講義「現代学 暴力論」 「マンガと暴力」(2)『ザ・ワールド・イズ・マイン』論
04)「理想」と「虚構」 戦後という時代
70年頃の変容 「理想の時代」→「虚構の時代」(大澤真幸)〈現実(ルビ=リアリティ)は、常に、反現実を参照する。[略]現実の中のさまざまな「意味」は、その反現実との関係で与えられる。「意味」の集合は、まさに同一の反現実と関係しているがゆえに、統一的な秩序を構成することができるのだ。〉〈「反現実」は、「理想→(夢→)虚構」と順に、版現実の度合を高めてきた[略]理想は、未来において現実へと着床することが予期されている反現実だが、虚構は、それがやがて現実化するかどうかに不関与な反現実だからである。〉大澤真幸『不可能性の時代』岩波書店 2008年 1p、3p〈欠如なしに自然に生じてくる過剰な欲望や快楽がある。こうした、欠如とは無縁な過剰な快楽を肯定している。それが七〇年代以降のスタイルで、こうした土壌で、溌溂としたポップスも生まれうる。七〇年代の前半あたりを境にして、欠如に由来するルサンチマンの時代から、欠如のない時代へという以降が起きる〉大澤真幸『戦後の思想空間』筑摩書房 1998年 95p
理想の時代 「欠如」→ルサンチマンと葛藤→「理想」 「世界」を包むイデオロギーへの信憑
敗戦による断絶 米国化→若者(消費)文化 戦後世界的「理想」 →手塚マンガ
虚構の時代 「欠如」の欠如 虚構の快楽 消費環境の肥大化
人間の役割多義化による「現実」の多層化、非決定性
68~72年=移行期 近代や戦後理念の自己批判の時期(大澤同上 190p) →『デビルマン』
=移行期的なルサンチマンと葛藤 自己否定 理想=ユートピア→反ユートピアとしての破滅SF
対抗「暴力」の肯定 純粋化 →「暴力」要素の記号パッチワーク化 →「暴力」記号の消費へ
〈正義と理性をめざめさせることができるものはただ一つ!〉〈暴力だ----!!〉雁屋哲、池上遼一『男組』(連載74~79年)14巻 小学館 98年 295p →『北斗の拳』など、少年向けのジャンプ的バトル物の類型化へ
90年代 高度~安定成長期 「理想」~「虚構」の時代 →「現実逃避」ならぬ〈「現実」への逃避とでも呼びたくなるような現象〉〈現代社会は[略]現実への逃避と極端な虚構化――へと引き裂かれているように見える。[略]究極の「現実」、現実の中の現実ということこそが、最大の虚構であって、そのような「現実」がどこかにあるという想定が、[略]〈現実〉に対する隠蔽なのではないか。〉大澤『不可能性の時代』3~4p、165p
多文化主義的な相対化
05)「暴力」の変質 90年代と『ザ・ワールド・イズ・マイン』
新井英樹『ザ・ワールド・イズ・マイン』ヤングサンデー 1997~2001年連載 2006年加筆版『真説 TWIM』
●関連略年表
‘95年 阪神・淡路大震災 地下鉄サリン事件(オウム真理教)
‘96年 クリントン再選 ※国内ウェブサイト急増 ~インターネットの浸透~
‘97年 神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件) ペルー日本大使館突入解放
『もののけ姫』公開 エヴァ・ブーム ※『TWIM』連載開始
‘98年 和歌山毒物カレー事件 米英軍、イラク空爆 (※『TWIM』内 大館市
‘99年 コロンバイン高校銃乱射事件 池袋、下関で通り魔殺人事件
‘99~00年 (※『TWIM』内 関谷潤子親子監禁~殺害
2000年 新潟少女監禁事件 ストーカー規制法施行 少年法改正案成立
‘01年 ブッシュ大統領就任 小泉内閣発足 9.11テロ 『千と千尋の神隠し』公開 ※連載終了
〈[マンガで最も大切なのは]キャラクターです。[略][ストーリー作りでいちばん大変なのは]情報です。取材したり、調べたりした情報をどう物語に組み込んでいくか〉〈ホラ話が中心だったので、周りはリアルにしようとした〉〈地球を壊すレベルのほらを吹きましたよ〉新井英樹『真説TWIM』1巻 エンターブレイン 06年 「「The World is Mine」とは何だったのか? 新井英樹特別ロングインタビュー(1)」 5p、6p
市街編 取材・調査による「現実」描写→破壊 「現実」らしい「虚構」構築の意志
〈12月15日 秋田県 大館市
商店街の看板などの克明な「現実」らしさの再現画像の破壊と殺戮場面 図1 同 272~273p
図2 同 280~281p ジャスコ内部→ヒグマドンの口中 細部の「現実」を集めた虚構 口の中からのマンガ的な視角 宮谷一彦~大友克洋『AKIRA』など「映像」的背景の「現実」らしさ→近未来=現在へ
日常生活編 個の殺戮 図3 同4 107p マリアの友達・関谷潤子親子の部屋 細部のリアリティ
図4 同 456~457p 黒ベタ内語→死(自意識の消滅)次頁〈12月16日 死亡 関谷潤子(18) / 死亡 関谷潤一(2か月)〉 事実記録 黒ベタ内語=葛藤→マリア解離へ 内面と外部現実の極限的出会い
「現実」と「虚構」
マンガにどれだけ「現実」を感じさせる「暴力性」(虚構の強度)があるか?
→圧倒的な「現実」に拮抗する虚構(ホラ話)の試み 「現実」と「虚構」の拮抗と均衡?
質問 なぜヒグマドンを登場させたか? 〈僕の感覚では世の中、夢も含めてすべては同じテーブルの上の出来事であって、同席させたいもの同士、同居できないわけがないと思いました。加えて、自分自身が胸踊る物語のひとつが、トシモンに代表されるような人間が神的な存在に触れるというものだったので、是が非でも並行させたい・・・・という思いでした。〉同3 4p →人と神(自然)の全振幅=全世界が入る「物語」
A)マンガ的虚構の質 モンの顔変化 図5 同5 p不明 少年モン=マンガ的「無垢」? →図6 同2 187p 獣性 忌野清志郎的ロックスター的逸脱と放埓(劇画段階) →図7 同5 p不明 抽象的な白いモンの顔 唇薄くなり、記号的に 人→神人へ=劇画的「現実」→マンガ的記号へ?
B)日本の「日常」と世界の「現実」 破壊される世界の変化 図7~8 同上左頁 テロ集団による関東同時多発テロ〈1月30日〉 大館市
C)米国という「世界」 傲慢な米国・大統領 『沈黙の艦隊』から続く主題=日本の戦後への問い
→米国的グローバリズムへの断罪とサイバーテロによる世界破滅 →世界の「返還」で終わる(手塚『来るべき世界』51年の描いた東西の和解) 戦後日本は米国を介してしか「世界」と出会えない?
個別のアジア、欧州を主題化するマンガはいくらもあるが、日本社会の「現実」から(たとえばスポーツ物など)世界へ至る類型的な再生産を避けようとすると米国が出てくるのか?
新井英樹の米国観〈アメリカは自分の身の丈以上のことをしているじゃないですか。自国では既に機能していない自由、平等、人権といったものを他国でまき散らしている。その姿に腹が立つんです。[略]「命は平等に価値はない」「俺は俺を肯定する」「力は絶対だ」といった一連のモンちゃんのセリフは、アメリカ的価値観の行き着いた先です。〉同5 4p 逆に作者の意図と別に存在する作品の「力」を感じさせる
05)「虚構」の困難
近代への疑義 秋田県警須賀原本部長の記者会見 〈この国のすべての人間に挑戦したい。人権を差別せよ。自ら社会を逸脱する者にその生における平等はない。人名を差別せよ。社会と個人の命を秤にかけた時、民主主義は迷わず社会を選択せねばならない。「ヒューマニズム」を差別せよ。その言葉の響きに酔いしれ思考を停止した者のみが殺すことをすべて悪とする。人間とはあまりに不完全な度し難い生き物であるにもかかわらず、神をも恐れず懸命に守るべき命を葬るべき命を常に選択してきたのだ。ならば 差別することもヒューマニズムである。〉同5 198~200p 緊急避難状態での相対化→これは「作家の思想」か? →虚構内第二の「現実」と化した人物が、もっとも彼らしい言葉を語る必然 → 「現実」の読者にも「説得力」「衝撃」 →マンガの「面白さ」の一部 作家に「責任」はあるか? 作者の「思惑」「理念」とは別に、作者、読者にも「暴力」「殺戮」の「もしも」への願望=暴力ファンタジー消費の快楽と欲求が存在する
「虚構」と「現実」の相互自律性と複雑に錯綜する因果関係
9・11との関係 〈[『真説』の加筆で]ラストを変えたんじゃないかと思っている人がいるそうですが、変更はしていません。もう少しページが必要だったところを加筆したくらいです。9・11前の物語を9・11後にいじるのは反則行為なんじゃないかと。〉同5 6p 「虚構」としての「暴力」の引き裂かれ方 「物語」を畳む困難の時代
「セカイ系」想像力 「虚構」と「現実」、内と外を繋ぐ媒介としての「身体」 〈『エヴァ』の世界では、「戦争」は自閉した個人のなかのトラウマのたたかいにまで退行しているが、重要なのは同時に外へ出たい、他者と出会いたいという願望が強く感じられることだろう。〉夏目房之介『マンガと「戦争」』講談社現代新書 ‘97年 170p 身体の直接性(現実を感じる存在)への内向願望の虚構化が「暴力」主題?
戦争体験→伝承、情報としての戦争→虚構としての戦争(記号)→内向(個人的闘争者の「暴力」的身体)→身体の直接性と他者願望(現実)と虚構の矛盾・葛藤 (次回、清水玲子『秘密』と2000年代