ビランジ22号の竹内オサム氏修論「手塚マンガの映画的手法」1
竹内オサムさんの私家版雑誌「ビランジ」22号に載った修士論文を、ようやく読みました。何せ「遅読の王」なので、ゼミのためにグルンステン『線が顔になるまで』をやっと読み終えて、それからなので、時間がかかる。
「ビランジ」には、非常にタメになる文章が多く、じつは全部読んではいないのですが、たとえば丸山昭さんの聞き書きシリーズ「児童雑誌編集者として 思い出すことども12」は、元『少年』編集長・金井武志さん(『アトム』連載を起こした人)で、取材後亡くなってしまったので、とても貴重な証言。同じく「別マ」編集時代を振り返った小長井信昌さんの文章も貴重。「ユリイカ」の批評特集に対する竹内さんの反論もあり、また60年代後半期の「マーガレットコミックス」の連載時との左右ページの異同を調べた論文(しのだようこ「初期コミックスの見開きの扱いについて」)は、この時期のマンガ表現の変容にかかわる媒体の変化なので、僕が今コミックパーク連載「マンガの発見」でやってることにも使える検証でした。
なのだけど、何といっても今回竹内さんの修士論文(77年)が白眉で、なんと30年以上前にこれほどの成果を挙げていたというのは、正直驚きでした。竹内さんを含めて、村上知彦氏、米沢嘉博氏など同世代論客も、まだ前面に出てきてはいない、その直前くらいの時代に、先行世代の批評などをこれだけ網羅的に参照分析した上で、それらを総合する研究にまで進めようとする大変な労作。おそらくは当時唯一の孤独な営為だったはずです。手塚マンガが戦後マンガを変えた要因を、先行論者たちが口を揃えて指摘しながら、その実態が不明だった「映画的手法」にあるとして、ではそれは実際はどういうものだったのかを、映画理論を引き、「同一化」論を挙げ、文芸批評も援用しつつ追ってゆく。のちに宮本大人氏が検討することになる昭和13年の内務省指示要綱についても言及され、児童文学系の論者の検討と「思想の科学」系や石子順造氏など先行研究を挙げ、ようやく「同一化技法」の説明に入ったところで、次号に続く(全3回で掲載とのこと)。
いやあ、これねー、今のマンガ研究の状況からいうと、簡単に参照できない状態になってるのはとてもマズイと思います。マンガ学会で宮本氏がいってたように、どこかであらためて本にするとか、今の若い研究者が目にできる状態にしたほうがいいと思う。サイトで常時読めるようにするのが手っ取り早いけども。
もしも、77年当時、これが公刊されていたら、たしかに読者は数えるほどしかいなかったでしょうが、しかし確実にその後のマンガ論展開に影響を与えたんじゃないかと思う。少なくとも、僕がマンガ表現論を目指した90年代、先行する研究として参照していたら、だいぶ違った方向があったんじゃないかなー。わかんないけど・・・・(エッセンスとしての小論文はあった気がするが、あれは何年だっけな。今、手元に資料がない)。先行する研究批評をきちんと引いて創造的に乗り越えようとする姿勢は、当時の同世代論者の中には見られなかった客観性じゃないかと思うし、全体に当時の状況でマンガ研究を学術論文として成り立たせるための工夫や緊張があって、しかも竹内さん自身マンガを描くことからくるだろうユニークな観点(視点論の導入の仕方?)が感じられる。いろんな意味で興味深い。
ただ、「ビランジ」という雑誌は、竹内さんに切手を送って送付してもらう形式になっていて(僕は以前から竹内さんのご好意で送ってもらっています。途中で一度切手送りましたが・・・・)、誰でも入手できるかというと微妙な媒体なので、これを機にもっと参照される形になってほしいですねー。