新宿中央図書館講演「漱石の言葉」レジュメ
記念講演会
開催時間:13:30~ 題目:「漱石の言葉」 夏目房之介
「漱石の言葉」 猫塚DVD上映
1) DVD鑑賞の感想
1953年 父・純一(1907・明40年6月生) 46歳
祖母・鏡子(1877・明10年生) 76歳
‘63・昭和38年没
房之介(‘50生) 当時3歳
2)「猫の墓」の経緯
明治40(‘07)年9月早稲田転居 翌41年?猫没
●祖母の証言
〈九月十三日に猫が死にました。その次にもまたその次にも猫を飼いました。夏目といえばすぐさま猫と連想されるほど猫には縁があるように思われたものなので、訪ねておいでになる方が縁に遊んでいる猫を見られて、この猫は何代目ですなどとよくきかれたものです。[略]毎年それからこの日にはお祭をいたします。〉鏡子・松岡譲『漱石の思い出』文春文庫 220p
●漱石が出した猫死亡通知
〈辱知(じょくち)猫儀久々病気の処、療養不相叶(あいかなわず)、昨夜いつの間にかうらの物置のヘッツイの上にて逝去致候。埋葬の儀は俥屋をたのみ箱詰にて裏の庭先にて執行仕(つかまつり)候。但し主人『三四郎』執筆中につき、御会葬には及び不申候。 以上〉同上 221p
代々の猫、文鳥、犬(ヘクトー)、金魚など埋葬
猫十三回忌 九重の石の供養等建立 萩を植える
●叔父伸六の証言 ‘60年頃?
旧居跡には〈如何にも殺風景な二階建ての都営アパート〉
〈その入口に当る道路ぎわに、半ば横に傾きかけた、細い角材の標柱が立って居て、表には「史積 漱石山房址」と書いてあるのだが、既に十年の風雪にさらされた表記の文字は、じっと顔を寄せて眺めても、殆どそれと判読しがたい程に薄れて居る。〉夏目伸六『猫の墓』河出文庫11p
●祖母と猫
〈[鏡子は猫二匹と住んでいたが]生まれつき余り猫好きでない私の母は、頬ずりはおろか、未だ曾て、この猫共を膝の上に抱きあげた事すらない程である。〉
〈[冬、猫が寝床にもぐりこんでいると]「ずうずうしいよ、この猫達。さあ、さっさと出るんだよ」/と、忽ち、順ぐりに頭を張られて、追い出されて仕舞う。〉(同12~13p)
〈唯、私の父が「我輩は猫である」を書いて以来、何とはなしに、彼女自身、吾が家と猫とは、切っても切れぬ因縁に結ばれたものと思い込んで仕舞ったらしく、それで、野良猫の一匹や二匹迷い込んで来ても、そうむげに、これを追い出す様な無慈悲な真似をしないのである。〉(同13p)
‘53年猫塚復活?
2) 漱石の言葉
●漱石の証言
〈先達て家の猫が死んで裏に御墓が出来た。二、三日前に三十五日が来て仏前へ鮭一切れ、鰹節飯一椀をそなえた。〉『漱石書簡集』岩波文庫 204p
明41年10月20日付 知人宛書簡
手紙冒頭
〈その後は僕も大変な御無沙汰をした。仰せの如く千駄木から西片町へ移り西片町から此処へ変わって小供はもう五人ある。その上この暮か来春早々また一人生まれる。鬢の所に白髪が大分生える。顔も頗る年寄になったろうと思う。〉同上 203p
漱石満41歳 4年前(明38)『猫』、明39『坊っちゃん』発表。
明40年、東大講師をやめ朝日新聞社入社 人生の大転機
明41年 『虞美人草』に続き、『坑夫』『文鳥』『夢十夜』『三四郎』連載
同人誌「ホトトギス」の知的共同体での作家から、大衆向け新聞小説家へ
文体も変化したはず 「引き」の効果→『三四郎』
● 言葉へのこだわり方 〈子供〉と〈小供〉
〈[『坊っちゃん』直筆原稿には]「小供が十一回で、「子供」は一回だけである。〉秋山豊「自筆原稿を「読む」楽しみ」 『直筆で読む「坊っちゃん」』集英社新書ヴィジュアル版 7p
〈小供〉は大人に対する反対概念表記 〈子供〉は親に対する「こども」
〈この漱石の意識は、漱石のほかの作品でも広く認められ、たとえば『それから』では、几帳面に書き分けられている。〉同上8p
「ホトトギス」は二箇所で混同し、単行本『鶉籠』では全面無視。漱石全集は「ホトトギス」踏襲、集英社版はすべて〈小供〉で統一
〈生原稿を直接読むということは、編集者や印刷所の手の加わった本文――たとえその手入れが善意に基づくものであってもーーから漱石を奪い返す行為なのである。〉同上 8~9p
おそらくは漱石固有のこだわり 一般的な用法ではない
○こだわりがある以上、作家を尊重し原文のママとし、煩瑣だが註釈するか?
○その時代の読者の「読みやすさ」を優先し、時代の用法に合わせて改変すべきか?
編集作業の持つ本来的な矛盾でもある
漱石自身は、おそらく日本語特有の「いい加減さ」融通無碍な読み替え、当て字の面白さを熟知していたのではないか(漢学との比較で
漢字=中国語の語と音の厳密な関係
→日本語=中国語発音の音、和語の読み
様々な読みが可能になる語と音の曖昧で多義的な関係
文字=中国語=漢字の画像性→脳の画像処理
音声=和語=かなの音声性→脳の音声処理 →統合(聴く画像、見る音声
まったく別種の言語を組み合わせてできた特徴(韓国、ベトナムなども
漱石も親しんだ「書」の世界でも、書きぶりがまるで違う
漢語的な厳密さと意味 → かな文字的な緩さと感覚
演説速記にのみ残る表現
〈題は何でもとうがすけれどもネ、〉263p
〈ようがすか〉267p
「初公開 よみがえる文豪の肉声 夏目漱石 演説速記「作家の態度」」 「文芸春秋」07年5月号
〈こう云う時に、どうも足が棒になったと云う。それはまァよいとしても、足が棒になって身体が豆腐になっちまって、耳の中でダイナマイトが破裂して、眼の中に火事が出来て、頭の中が大地震だ。〉同上 271p
落語的な「音」の勢いの面白さ 書き直した講演原稿では削っている
活字化される公的でない「緩い」言語 音声と活字、講演と手紙、小説など、そのつどに択ばれた言葉の水準 様々な言葉の水準を往還する知識人・庶民としての漱石