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夏目房之介の「で?」

花園大07後期集中講義レジュメ4

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午前

4)マンガ表現の突出

60年代マンガ表現の変容例としての林静一

林静一『赤色エレジー』 東映アニメーション、幻冬舎 07年?

本編上映 26分 

7071年「ガロ」に連載したマンガ作品を、現代のCGアニメとして再構成

昼食

林静一『赤色エレジー』 「月刊ガロ」703月号~711月号連載

テキスト 小学館文庫『赤色エレジー』00

連載誌 「ガロ」 ざらついた紙と印刷の手触り感 雑誌の厚さ

 『赤色エレジー』図版紹介 アニメ版との異同など(幸子の違い

A)同棲マンガとしての『赤色エレジー』

 若者文化の風俗的先端表現

幸子像

11 林静一『赤色エレジー』小学館文庫 00年 168 幸子全身

12 同上 92 パジャマ姿 日本の女の子のリアルな姿態の可愛さ

(→のちの独特な美人画家・林静一へ)

13 同上 88 電気コンロに手をかざして一人待つ幸子

ほとんどマツゲしか印象に残らない、マンガ的表情要素を抑制した顔

〈ただぼんやり歩くパジャマ姿の幸子の瞳のないまつげ、やや猫背の背、こぶりで形のいい胸。それはマンガ的なオンナの類型記号である胸ではなかった。どこにでもありそうで、そこにしかない姿態のかわいさ[3]。こういう描写で林にかなう者はいなかった。

 あるいは、何度も何度も描かれる煎餅布団の上で苦しげにのたうつ一郎の、幸子の、または二人の姿態[4]。わずか数コマの画像が訴える、やり場のない男と女の苦しさ。

 活劇から脱したマンガが、日常的な描写を完成し、そこに豊かな喩の画像を組み込んでゆく、ひとつの原型がそこにあった。〉夏目房之介『あの頃マンガは思春期だった』ちくま文庫 00年 180

 初の(?)同棲マンガのリアリティ

14 同上 140  15 同上 166p  16 231

やたらと(一つしかない)フトンで(色んな意味で)悶える二人

●恋愛、結婚、仕事、将来の希望など、かつてマンガが描くべき主題ではなかった「青年期の懊悩」を描く手法を開発 前史に永島慎二など

B)マンガ表現の先端性

 手塚、白土など、寓話的な構成から、意味と画像の関係を解体した表現主義的な傾向へ

17 同上 1819 白雪姫と結婚  

18 51 内面の対話の画像化

19 220 心理的な「殺意」の画像化

飛躍の多いシュールな画像の連続、独特の暗喩、高度なリテラシーの必要

「自己表現」としてのマンガの追求 → マンガの方法論意識 → 前衛化・純粋化「マンガをマンガとしてとらえる」こと

    つげ義春に始まる「ガロ」の表現革新は、佐々木マキ、林静一によって一種の確信犯的「運動」の印象を与え、当時のマンガ青年の賛否両論を呼んだ。

    いわば「革命的」であるかどうか、「前衛的」であるかどうかの試金石のような位置を占めた

    同時にそれは「マンガ」を純粋にマンガとしてとらえ、語るジャンル意識を伴う →マンガの外延から「マンガとは何か」に答える →夏目・大学時代の「佐々木マキ論」→「コマ・絵」=マンガ表現論の仮説(70年代初期→のち、表現論として整理)

C)言葉と画像の演出

詩的な表現

簡潔な言葉の重ねで、事態のリアリティを感じさせる リテラシイの必要

20 同上 177 「違う!」 「知ってる・・・・」 「もういいの・・・・」

21 188193 620コマ中セリフ吹きだし5つ 前後を削った言葉

路上で聴こえてきた会話のような「らしさ」

 当時の風俗的、都会的リアル → つげ義春、宮谷一彦の「風景」

    「言葉」をいかに解体し、かつビビッドに表現するか?

同時期の佐々木マキの表現

22 佐々木マキ 『素浪人錯乱』 ガロ 701月号 138139

 セリフの吹きだしのみ 言葉の不在

23 同上『軽気劇 砂漠の目玉』 同上 8月号 150151

 セリフはあっても意味不明 裸の口蓋のくしゃみ=かすかなニュアンスの連想

    言葉への不信→先行世代への不信+反近代主義 「ぼくらのマンガ」世代の刻印? 当時の思想状況の反映

    「言葉よりも絵」の意識(一種の純粋化?) 少女マンガとの差

休憩

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