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夏目房之介の「で?」

身体表象文化学コース講演

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講演のレジュメです。

身体表象文化学コース 入試説明会 講演 日時:1117日(土) 1400-1500
場所:学習院大学・南3号館104教室 講師:夏目 房之介
タイトル:大学でマンガ・アニメをどう語るのか?

(漱石の孫、大学でマンガ・アニメを語る)


1)大学とはどんなものか?

専門家ではないので現場も知らないし、知識もないが、自分なりに大学像を描いてみる

A)   個人的経験

特殊な時代の特殊な経験を基礎に「相対的に規制のない、人生の瞬間的な自由落下状態」だった

→そこで様々な社会の局面や自分の知的な課題を見つけ、結果として卒論に集約する「学問(知的課題と研究)の面白さ楽しさ」を知ったのが大きな成果

20年後、手塚論・表現論の展開に、それらの経験が生きるとは思いもしなかった

    個人的な経験からいえば、大学はこうした「偶然性」を与えてくれる「緩い」場だった

B)   自分の大学生時代(‘70年代前半)、大学進学率2割台(それでも「マスプロ教育」と呼ばれ、それまでの社会的エリート養成機関としての大学は変貌しつつあった

→現在は4年生大学・短大を合わせ、進学率は5割を越え、専門学校など高等教育を合わせると7割を越える

→当然、社会における「大学教育」の課題も意味も変化しなければならない

    社会的エリートとしての指導力と自覚・知的な専門性・教育()と社会階層の高さ()の一致が崩れる

法科→法律家、官僚 理工→技術者、研究者 日文→小説家、編集者?

職業=社会階層との対応関係は薄まる

一方で社会の多様化・多層化が職種、対応する技術を複雑化し、専門性を高めつつ、様々な要求にジェネラルに応えられる高度な能力を必要とする

高等教育充実の要請(先進諸国共通の課題

2)マンガ、アニメの高等教育とは?

A)実作者養成は大学の課題か?

現状では、(元)マンガ家、(元)編集者などを含めた「先生」を呼び、実作・クリエイター養成教育に偏っている(事実、それ以外の「教育」のできる水準を大学も民間も持っていない

→が、進学率半分以上の現状でマンガ家・編集者を育てるという課題は(美大や専門学校ならともかく)普通大学ではナンセンス 

→むしろ、文学部の教育が基本的に「社会人をやってゆくための基礎教養」を課題にせざるをえないのと同様、マンガ・アニメという領域を現代社会の「基礎教養」的な分野と見なすべき

    マンガ・アニメ・ゲームなど、キャラクター文化や商品文化には、現在の日本社会で「教養」(人生を豊かにする知見、想像力や発想を刺激するもの)というべき実際の蓄積がある

 例:TVドラマ、邦画の原作として機能し、制作現場のスタッフにジャンル教養を共有されている現状 『のだめ』など

B)学生側の要求

 どこの大学、学会でも「大学生・院生が(自分の知らない)マンガやアニメで論文を書きたがる」と悲鳴をあげる先生たちが

→大学という場の教育システムと能力が、学生側の大衆文化=教養的な基盤からの要求に応えられない現状

    大学と、マンガ・アニメ(大衆文化)、学生の間に大きな矛盾が生じている

この矛盾そのものを見つめることも含めた「基礎理論」的な研究から始めるしかない  →大学院本コースの課題

3)学生と学問の課題

大学院に進み修士論文を書いて社会に出る学生も増えている

→大学院=研究者養成=就職の保証の時代は終わった

    個人的にも就職の面倒は見られないし、論文・学会についてもド素人なので、そこのところは期待されると困る

研究者の道を模索するにせよ、実社会に出るにせよ、現状で僕のできることは:

A)   できるだけ多くの人に出会わせ、現場を見せ、知見を拡げ、社会に広がってゆく関係の中に講義や演習を置くこと

→学生は、それによって研究課題のみならず、自分の進路に関しても、様々な刺激や契機をつかむ可能性をも持つ(本人が望めば

★以下「大風呂敷」

B)   マンガ・アニメを巡る様々な学問領域を、できるかぎり援用し、また先人の知見と出会わせる 大学を越えて学際的な「知」の交流

C)   実社会と学問の両面での経験を可能なかぎり活かしたい(A+B

●約束はできないが、集まった学生との試行錯誤でやってみるほかない

 例:出版社、編集者、作家、国際版権部、図書館、美術館、批評家、TV局など、知りうる範囲で見学・取材など課題に応じて試みること

 他大学、他施設にいる研究者や学生、日本マンガ学会などとの交流

 

    以上は大学に本格就職する「初心者」の「だったらいいな」だと受け取っていただきたい

大正3(1914)年、死の二年前の漱石は、学習院で講演し、のち「私の個人主義」として出版 権力・金力を生まれながらに持っている当時の学生に、「個人」を他者に及ぼすことの重大さを警告した

自力で自分の新たな路を切り開き「満足」をうるまで進むことを奨励しつつ、エリートとしての社会的な責任を強調 教師の「秩序を維持する権力の行使」と、それにともなう義務を語る

〈いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発露する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。〉夏目漱石『私の個人主義』講談社学術文庫 78年 147

とりあえず、ここでいう「修養」に役立つ(?)ものを「教養」とすれば、現在ではマンガ・アニメはその領域に入っているだろう

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