一夜あけて・・・・
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いやー、やっぱり『ザ・ワールド・イズ・マイン』、一時間じゃ短すぎたなっていうのが率直なところ。キャラの話もしたかったなー。
僕のポイントは、一つだけに絞れば、やはり95年の大震災とサリン事件によってフィクションが乗り越えられてしまったっていう圧倒的な時代感覚を前に、それでもフィクションの強度を試したいっていう作品になったのが『TWIM』だったんじゃないか、っていう観点だった。そこを外すと、たしかに質量は大きいけど、まったくなかった想像力じゃないって話になりかねないから。
そのあたりを、大月さんや呉さんに話してもらいたかったんだけどなー。
ま、しかし、それでも一時間のバラエティ番組であそこまでやれたのは、夜話だからだよね。大月さんのいいたいことも「あの時代に、よくぞここまでたたんだ!」っていうことで、いしかわさんのいおうとしたことは「時代関係なく、物語の畳み方はうまくいってない」ってことなんだけど、ここは明瞭に観点の違いが出てる。破綻には破綻の意味や価値がある、というのは、多分みんな思っているけど、どこでそれを認めるかは、時代認識から趣味にわたる観点や好みの差が出る。そこで賛否両論になるのは、この作品の場合、必然だろうね。
でも、連載マンガでこういうことが起こるのは、ゲストのアリキリの石井さんがリアルタイムで感じてたように、いってみればマンガの蛮力のなせる技っていう気がする。「たかが」と「されど」の双方にわたってしまう蛮勇、それを「マンガの勇気」とよんでみたいと思いました。
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