講演 「三田平凡寺と我楽他宗」レジュメ
彦根まちなか博物館セミナー 10月20日(土) 14:00~15:30 講演用レジュメです
講演 「三田平凡寺と我楽他宗」 夏目房之介
アル・プラザ彦根6F 大学サテライト・プラザ彦根 会議室(JR彦根駅前)
1)三田平凡寺について
本名・三田林蔵 明治9(1876)年7月10日東京生 昭和35(‘60)年没
山師の祖父が東京泉岳寺辺に材木商「三田源」を成し、14歳頃林蔵聴覚を失い、家業を番頭に譲り、家作を買い、地主となる 泉岳寺参道下、京浜国道海側に住む
若い頃は、禅宗系の修行をしたとも伝
明41(‘08)年11月 平凡寺開山式 満32歳
大正8(’19)年6月 趣味集団「我楽他宗」開創 42歳
大9年8月 機関誌「趣味と平凡」創刊 ~昭和15(‘40)年?
(近江郷土玩具研究会 藤野滋「我楽他宗」 ‘07年10月10日による)
奇人変人として有名 戦前、雑誌などで取材される 狂歌の権威?
2)平凡寺と僕
三田林蔵/喜代子→2男4女の末娘・嘉米子/夏目純一(漱石長男)→長男(僕
母=ハーピスト 泉岳寺近く(旧地名伊皿子 大木戸跡)に平凡寺と住む
昭和25(‘50)年房之介生 同地所内離れに平凡寺住む 「いるす」の表札
ヘンな品々 金箔ウンコ TVを観にいった カゴと羊羹 奇妙な二階物置
写真(1 幼少の僕と平凡寺の離れ一部 筆談の紙に埋もれる平凡寺
同じく子どもたち(丸内=母)
平凡寺写真裏〈此男ハ三十才頃迄孫悟空を崇拝して[略]馬鹿か利口かイヤ利口でハなひことハ慥であるがとにかくわけのわからぬ生物である! ごらんの如く人を喰つた面ヲかまへひと癖所か三十三癖もある癖ものであることは人より自分でよく心得ている〉
写真(2 平凡寺の勇姿 ローラースケート姿(大3(‘14)年8月26日撮影
浴衣姿(僕の長男に似ていた) 書斎にて
3)平凡寺と我楽他宗
「趣味と実益」創刊号(大13(‘24)年10月)連載「趣味百態奇人変人」
「我楽他宗の開祖 趣味山平凡寺知空」一記者 (対談形式)
〈彼は自ら知空と称し書斎を本堂又は廃物堂と呼んで居る、従つて来訪者を登山者と唱へて居る訳さ[略]信者の善男善女無慮三百人もあるし、末寺が既に三十三も出来、講中も殖へるばかりで、信者に中には独り日本人ばかりでなく印度人やペルシャ人まであるそうだ〉19p
写真3) 我楽他宗忘年会 大10(‘21)年12月 「我楽他汁稚気即是食式」
前左端・高橋狗仏 井伊家家庭教師 母「狗仏寺さんは犬を集めていて、ちゃんとした人だった」
北越山文殊寺 お殿様・松平さん 母「家老が財政を管理しているので、平凡寺のほうが小遣いを使えて、羨ましかったらしい」
写真4) 平凡寺邸庭 古道具屋ではない 大9年4月
「悟楽寺のづぼら」大11年10月 インド人シング? 母「ターバンをもらった」?
〈所謂本堂が変つて居るぜ、丸木の危なつかしい梯子を登つて二階の天井裏、それとも屋根裏の三階と云はうか高さ四尺ばかり、立つ事も歩く事も出来ない低い天井の八畳ばかりの室、そして其処に所狭きまで列べられた物は、何れも奇々怪々の薄気味悪いものばかり、歯を剥出した髑髏、醜悪な南洋の女神男神、さては血痕班々たる蛮人の首台など、満目これ人間界のものでないやうな気がするよ〉同
写真5) 「夜の本堂」 大10年7月
陽物(「人の世を 絵ときをすれば へちまかな」 平凡和尚
〈乙『[略]その男女観並に性の問題に関する和尚の持説と云ふのはどんなものだね、』
甲『[略]「性」に関して彼は一家の見を有して居るらしいが、世上の誤解を招ぐ虞れがあるから、詳しく説くのは止めて置かうよ』〉21p
4)家族の迷惑
写真(6 平凡寺庵と妻・喜代子
「趣味山入口」大6年夏(「俳諧や茶の湯を知らぬ気やすさに 月雪花も寝ころんで見る」趣味山人 「昭和二十年ブツコワサレタ」
「ヘーボン嶋カン族土人少女」大6年夏(禁売買譲与) 母の姉たち
迷惑なのは、漱石も同じ