【Book】『独立国家のつくりかた』 -DIYで政府を!
2011年5月10日、日本国内に「新政府」が誕生した。とは言っても、民主党の話でもなければ、虚構新聞のネタでもない。どこのニュースにも報道されることのなかった この「新政府」は、ある男が勝手に決意し、勝手に作った思考上のものである。しかし、この国は確かに実在するのだ。
首都は銀座4丁目のとある土地。首相官邸は熊本市内のゼロセンター。国会議事堂は東京ミッドタウン内。領土面積は1426.5㎡、人口は12,608人(2012年4月19日現在)。本書はそんな、たった一人で独立国家を作った男の、思考のプロセスを綴った一冊である。
この「新政府」の初代内閣総理大臣に就任したのが、本書の著者でもある坂口恭平氏。肩書は、建築家、作家、絵描き、踊り手、歌い手などさまざまであり、やっていることだけを見ていると、ただの変な人である。しかし、自分自身の行動を言語化するのが抜群に上手い。
「アイディアとは既存の要素の新しい組み合わせに過ぎない」と語ったのはジェームズ・W・ヤングだが、印象に残る言葉というのも、組み合わせ一つだと思う。
「レイヤーライフ」、「プライベートパブリック」、「お金農家」、「態度経済」、「思考都市」、「放課後社会」、「絶望眼」、「0円特区」。本書で紹介されている言葉の数々は、いずれも既存の単語の組み合わせで形成されているのだが、恐ろしく刺激的で、新しい世界観を提示している。
著者がこのようなオリジナリティ溢れる視点を、一体どのようにして培ったのか。それは前著『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』にも詳しいのだが、路上生活者のフィールドワークから得たものである。
路上生活者たちは、都市に捨てられた余剰物を転用することで家を建てている。そんな彼らが転用している余剰物のことを、著者は「都市の幸」と名付けた。一般的にはただのゴミであっても、彼らにとっては、大事な家の材料であったリ、お金に換えられる資源であったりする。そには路上生活者にしか見えないレイヤーが存在していたのだ。
このような視点で彼らの生活を俯瞰してみると、家だけが居住空間なのではなく、毎日過ごす都市空間のすべてが、彼らの頭の中でだけは大きな家なのだということに気が付く。公園は居間とトイレと水場を兼ねたもの。図書館は本棚であり、スーパーは冷蔵庫のようなもの。そして家が寝室。彼らのレイヤーのみに存在する、レイヤーライフ。それを著者は「一つ屋根の下の都市」と名付ける。
つまり彼らの世界は、プライベートとパブリックの境界線が通常の人とは異なるのだ。都市全体を自らの「居間」のように捉え、自分の生活要素を都市の中にしみ込ませる。空間を私有するというプライベートの概念を、パブリックの領域にまで拡大しているのである。
そして、このような路上生活者たちのレイヤーを借りて、自分自身の日常生活を眺めた時に、一体どのようなものが見えてきたのか?それが本書の主題でもある。
きっかけは、フィールドワークの最中に偶然見つかる。公立の公園がいまいちだからと、自分自身の庭をいじって、立ち止まる人のための名札まで作っていた、とあるお宅の庭。そこの庭師は、路上生活者たちとも違う、新たなプライベート/パブリックの線引きをしていた。プライベートな空間を自らの贈与によってパブリックに仕立て上げるという、新しい公共の在り方―DIYなパブリック―を実践していたのである。
国が悪い、政府が悪いと言うだけではなく、自分自身で公共を作り出そうとする行動力。折からの震災も転機となり、著者もこの事例に倣って自分自身で政府を作ろうと思い立つのだ。会社がダメだと思って自ら会社を立ち上げようとする人は多いと思うが、国がダメだと思って自分自身の手で国家を作り上げようとする人も、なかなか珍しい。
一般的に国家の条件とは、1、国民。2、政府。3、領土。4、外交のできる能力の4つである。このうち1、2、4については自分次第でなんとかなる。そして領土についても銀座に見つけた所有者不明の土地を手にすることで、独立国家は誕生した。そして、その領土は現在も拡大中なのだという。
このように自分自身で政府を作り上げるということの効能は、思いのほか大きい。日頃は抽象的な存在でもある政治や経済が、自分自身の生活と直結するのだ。一人一人が国家であるというように視点を変えると、自分自身の哲学は政治になるし、他人との交流が経済となる。つまり、マクロとミクロが一つになるのだ。
そうした中で生まれてきたのが、著者の提唱する「態度経済」という概念だ。
態度経済とは貨幣経済と決別したものではないのだという。すごく簡単に言えば、社会を変えよう、少しでもよくしようという態度を見せ続ける人間を、社会は飢え死にさせまいと考え、相互扶助を行い始めるということである。そこに人間の感情や知性などの「態度」が交じっていることが、これまでとは決定的に違うものであるのだ。
フリー、シェア、パブリック、そして評価経済。もはや語り尽くされた感のあるテーマにも近い内容の主張を行っているのだが、これまでのモノとは明らかに違う印象を受ける。よくもこんなにも新しい角度から描くことが出来るものだと感心する。
この手の主張を行ってきた既出の書の中には、取って付けたような、接ぎ木感を感じるものも多かった。その類の違和感を本書に感じないのは、著者が徹底的なフィールドワークを行い、自分自身の身体を起点に考えているからだと思う。そして、たとえ現実がどんなに醜いものであっても逃避せずに、さまざまな角度から凝視する。それは著者のこんな一言にも集約されている。
何かを変えようとする行動は、もうすでに自分が匿名化したレイヤーに取り込まれていることを意味する。そうではなく、既存のモノに含まれている多層なレイヤーを認識し、拡げるのだ。 チェンジじゃなくてエクスパンド。それがレイヤー革命だ。
この「拡張現実」感こそが、本書の表現技法としての最大の特徴だと思う。イレギュラー状態のレイヤーで、レギュラー状態のものを見る。たった一枚レイヤーをかぶせることで、ベースの社会がガラリと違うものに見えてくる。しかもこれらをアプリなど使わうことなく、自分の脳内のみでやってのけるのだ。もっと言えば、本書そのものがARアプリのようなものなのである。
「ここではない、どこか」にある理想社会への変革ではなく、「いま、ここ」の世界を多重化し、読み変える。この態度こそが、一見荒唐無稽にも思える本書の世界観を、足腰の強靭なものにしているのだと思う。
また、レイヤーはフィールドワークで得られた単一のものだけではない。著者は躁鬱病を患っているそうなのだが、鬱状態に陥った時の視点を絶望眼と呼び、ここにもレイヤーを獲得している。そして躁状態になった時に再度レイヤーを俯瞰し、本書もその時に一気に書き上げたそうだ。
本書を読んだ後に読者の頭の中に出来上がるのは、「思考のセーフティネット」のようなものであるだろう。それは最悪の事態を想定したディフェンシブなものではなく、探究心溢れるポジティブなセーフティネットである。本当のセーフティネットとは、モノの見方を変えるということに他ならないのかもしれない。
(※HONZ 6/11用エントリー)
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独立国家と秘密基地。一見、縁もゆかりのなさそうだが、視点を変えて空間を作り出すという意味で、両者はつながっている。著者は、日本キチ学会の代表。秘密基地を作るためには、空間、時間、仲間の3つの間が必要なのだと説く。秘密基地の例が満載で、イラストもいい味を出している。
海外で経済的に困窮状態に陥っている在留邦人を困窮邦人と呼ぶのだそうだ。その中でも、世界で最も困窮邦人が多いとされるのがフィリピンである。そんな困窮邦人たちの生活を追いかけた、リアルなルポルタージュ。彼らの多くは、困窮邦人になる前のレイヤーから切り替え出来ていないところに問題があるのだと思う。彼らにこそ、レイヤーライフを。
ビッグ・ブラザーからリトルピープルへ。ウルトラマンから仮面ライダーへ。時代におけるキャラクターの変遷をたどりながら、現在を「拡張現実の時代」と定義する。巻末のAKB48のキャラクター消費などの論考も、非常に面白い。
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