新刊ちょい読み 2012/3/1~3/20
50年前のグルメガイドを片手に、今なお残るお店を訪ねていくという珍企画。元ネタはデイリーポータルZの「50年前のガイドブックに載っている店巡り」という記事だ。
グルメガイドは『味のしにせ』(1962年・北辰堂)、『東京うまい店200店』(1963年・柴田書店)、『東京横浜 安心して飲める店』(1965年・有紀書房)、『東京の味』(1968年・保育社)の4冊。ここに掲載されている50年前の地図を頼りに、東京近郊のあの店やこの店をブラブラする。
こんなにも簡単にタイムスリップ感を味わう方法があったなんて!という斬新なやり口だ。しかも、ガイドを見ることによる過去へのタイムスリップ、実際にお店に行った時の未来へのタイムスリップと、一冊で二度おいしい。 そして、紆余曲折を経てお店にたどり着いた時の出会いの瞬間、その描写がなんとも可笑しいのだ。
たとえるならば、久しぶりの高校時代の同窓会で、鈴木君(仮)が高級な服を着ていて、いわゆる勝ち組の風格で輝いていたという感じだ。(トンカツ・ハゲ天/銀座)
久しぶりの同窓会でたとえると、山田君(仮)が山田君のままだった、という感じだ。歳もとっているし、着ているものも学ランではないけれど、一緒に机をならべていたころの面影は変わらない。いまでは有名企業のかなりの役職に就いているけれど、中身は英語の補習を一緒に受けたころの山田君のままなのだ。(団子・羽二重団子/東日暮里)
たとえるならば、小学校卒業以来久しぶりに再会した初恋の相手・石原さん(仮)が、いまなおきれいだった、けれど結婚していた、という感じだろうか。もっと早く好きだと言っておけばよかった。(桜餅・長命寺 桜もち/向島)
分かるようで分からない、「久しぶりの同窓会」への例えが連発。この絶妙のハズし感が、妙にツボにハマる。そして、これだけ気持ちが昂っていれば何を食べてもおいしくなりそうなものだが、50年前から存在する老舗の味も存分に満喫している様子だ。
妄想だけで良いおかずになるんだなと感心しきりの一冊。
(※HONZ 3/3用エントリー)
僕は、どちらかというと「いやぁ~ 俺たちの頃はガリ版でさぁ」などと聞かされて育った「ポスト・ガリ版世代」である。それでも伝え聞く話の口ぶりなどから、ガリ版というものがその世代の人にとって懐かしい思い出を持つ、愛すべき存在であったのだろうということは容易に想像がつく。本書は、そんなガリ版文化を紡いだ謄写版と人々の物語である。
日本におけるガリ版の基礎を作ったのは、エジソンのミネオグラフをヒントに謄写版を開発した堀井新治郎なる人物である。その仕組みはロウ原紙を筆耕者が鉄筆を使い文字を掘ることで、製版を行うというもの。ちなみに、宮沢 賢治も筆耕者を生業にしていた時期があるそうだ。
ガリ版の特徴は何と言っても、小回りが利くということだ。「方術極めて簡単で婦女子といえども容易に印刷でき、一枚の原紙で500枚は印刷できる。」などと謳われ、演劇、放送、映画での台本といえば、長らくガリ版印刷の独壇場であったのだ。なお、長寿アニメ「サザエさん」の台本にいたっては、なんと2009年までガリ版印刷であったという。
グーテンベルクの活版印刷がマスメディアの先駆けとなったものなら、ガリ版はソーシャルメディアの先駆けのようなものである。当時のアルファブロガー的な存在が、足尾鉱毒事件の公害運動で有名な田中 正造。1900年前後の時期、鉱毒被害農民らとともに言論活動の主力となるビラ、リーフレット、パンフレットなどをガリ版で印刷し、多種、多量に配布することで世論を喚起することに成功したのである。
また、このような草の根メディアの発達とともに世の中のグローバル志向が高まっていたのも、現在を彷彿とさせる。ただし、関心が高まったのが英語ではなくエスペラント語だったのはご愛嬌というところか。加速するエスペラント語人気に応えるように、教科書、講習会の開催内容、学習情報などが大量にガリ版で印刷されていた模様だ。
この他にも、本書には、坂東収容所のガリ版印刷、学校文化としてのガリ版印刷など、さまざまなエピソードが収められている。これらの共同体との密接な結び付きこそが、ガリ版の魅力を高めていると言えるだろう。
「ガリ版の魅力は、その仕事にたちまち自らの魂が乗り移ることだ。これは活字やその他の版式には及ばないガリ版の独壇場である。」とは、孔版画家・若山八十氏の弁。
(※HONZ 3/13用エントリー)
なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか――見捨てられた原発直下「双葉病院」恐怖の7日間
- 作者: 森 功
- 出版社: 講談社
- 発売日: 2012/3/13
<福島・双葉病院 患者だけ残される 原発10キロ圏内 医師らに避難指示で>
そんなショッキングなニュースが配信されたのは、東北と北関東を襲った大震災から数えて6日目の3月17日のことである。病院にはたちまち非難が殺到、またたくまに「悪徳病院」のレッテルが貼られることとなった。
しかし、実態は報道されたものとは大きく異なるものであったのだという。はたしてこの時、病院の内外では一体何が起こっていたのか?本書は、震災当日の3月11日から誤報が発表される3月17日までを、時系列で克明に追いかけたドキュメントだ。
双葉病院は、福島第一原発からは4.5キロの場所に位置する。専門は精神科だが、神経科や内科も併設された医療機関だ。患者の平均年齢は80歳。そんな場所も、未曾有の大震災は容赦なく襲いかかる。
電気・水道・ガス・電話など全てのライフラインがストップ、相次ぐ余震、全員が被災者という状況の中、家族の安否も確認できていないスタッフが総出で、震災当日はなんとか乗り切ることが出来た。流れが一気に変わるのは、政府からの避難指示があって以降のことである。
すぐに次の避難車両が来ると信じ、209人の患者と大半の職員を送り出し、129名の患者と一人で病院に残った院長。圧倒的な人手・物資の不足、患者の容態急変、原発の水素爆発、次から次へと津波のように困難が襲う。しかし待てど暮らせど、次の避難車両は来ない。さらにそこへ、マスコミ報道が追い打ちをかける。一体なぜ、救援は来なかったのか?そして、なぜ事実が正しく報道されなかったのか?
部分最適の積み重ねが全体最適につながらず、惨事を引き起こす。複雑化した社会ゆえのシステム・エラー。これはきっと、誰が悪いわけでもないんだ - 願望も込めて、僕はそう読み進めていったのだが、著者はエラーの綻びをさらに丹念に追い詰めていく。
今後の教訓としなければ誰もが報われない、そんな執念を感じる一冊だ。
(※HONZ 3/16用エントリー)
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