オルタナティブ・ブログ > Social Reading >

ソーシャルメディア×読書など。ソーシャル・リーディングな日常を綴ります。

新刊ちょい読み 2011/12/24~12/31

»
科学の栞 世界とつながる本棚 (朝日新書)

科学の栞 世界とつながる本棚 (朝日新書)

  • 作者: 瀬名秀明
  • 出版社: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2011/12/13

本書は『パラサイト・イブ』などでお馴染みの小説家、瀬名秀明氏によるサイエンス本の書評集だ。「朝日中学生ウィークリー」紙に連載されていたものが中心とのことで、非常に読みやすい。

一口にサイエンス本といっても様々なわけなのだが、脳科学、生命科学から宇宙、評伝本までが幅広くカバーされている。その中でも本書の特徴は、選書の確かさにあるだろう。ためしに生き物のパートを覗いてみると、しっかりとハダカデバネズミクマムシなどが選ばれている。これなら他のパートにも期待できそうだ。

また、レビューがすごくコンパクトに纏まっていることにも感心する。本の内容紹介を簡潔に済ませ、その楽しみ方を伝えることに重点を置いているのだ。自分にとって既読の本の書評を読んでみても、ついつい再読したくなってしまう。

個人的には、年末年始に「恥ずかしくて言えなかったけど、まだ未読だったサイエンス本」の類を読破しようと思っている。実はファインマンさんとか、まだ読んでないし。。。本書で紹介されている本も、きっと何冊か読むことになるだろう。

本を読む前に、本を読む。「飲む前に飲む」みたいなことか。皆さま、くれぐれも読み過ぎと飲み過ぎには御用心!


音楽の科学---音楽の何に魅せられるのか?

音楽の科学---音楽の何に魅せられるのか?

  • 作者: フィリップ ボール、夏目 大
  • 出版社: 河出書房新社
  • 発売日: 2011/12/21

フィリップ・ボールが、完全に量産体制に入っている。「自然が作り出す美しいパターン」三部作の『かたち』『流れ』、年明けに発売される『枝分かれ』。その合間をぬって『音楽の科学』ときた。それにしても1年間に4冊の本は、なかなか出せるもんじゃない。

それはさておき、本書『音楽の科学』は、心して掛かった方が良い一冊だ。なにしろ全620頁による圧巻のボリューム。さすがに気持ちが萎えそうになる。こういう時、僕は最初のページからは読まないことにしている。

そんな訳で、一番肝になりそうな第10章「音楽はなぜ人を感動させるのか」をちょい読み。 この章で論点となっているのが、音楽による感情の喚起が先天的なものか、後天的なものかというものである。記憶や文化との結びつきで説明しようとするのが「参照主義」、すべて音楽自身の持つ力によると考え、音楽以外の背景状況などは一切ないと考えるのが「絶対主義」と呼ばれるそうだ。この議論は、数学は発明か、発見かという議論にも非常に似ている。また、音楽も数学もルーツを辿っていくとピタゴラスに行きあたるという点が興味深い。

その気になれば、この章だけで十分な量のレビューが書けるほどの読み応えである。時間のある時に、きっちりと向きあいたい。これは楽しみだ。


ヴィクトリア朝時代のインターネット

ヴィクトリア朝時代のインターネット

  • 作者: トム・スタンデージ、服部 桂
  • 出版社: エヌティティ出版
  • 発売日: 2011/12/21

たかが数十年と言われるインターネットの歴史であるが、先祖を遡れば19世紀まで行き着くという。いわゆるモールス符号などでおなじみの通信手段「電信(テレグラフ)」のことだ。本書はヴィクトリア朝時代のインターネットとも言われる「電信」の歴史を、ダイナミズムたっぷりに描いた一冊。

歴史は繰り返すとはよく言ったものだが、その模様が生き生きとしたエピソードとともに伝えられている。犯罪や軍事利用がサービスの普及に貢献したのは想像に難くないし、ソー活、ソーシャル婚、ハッカーなどの原型も1800年代のイギリスに見ることができるのだ。

このように歴史を辿っていくと、当然のようにその興味は衰退のメカニズムの方へと向かう。電信はやがて「話す電報」としての電話に取って変わられることとなる。ここで興味深いのは、電信によって世界が革命的に小さくなったことが、電話の躍進にも一役買っているということである。ネットワークサービスの宿命は、自分が滅ぶための下地を己の手で作っているということにあるのだ。今風に言うならば、Facebookを凌駕するサービスが、Facebookを通じて拡散していくということに近い。

執筆が1997年とのことなので無い物ねだりになってしまうのだが、欲を言えばもう少しソーシャル的なものへの言及が欲しいというところだろうか。


猟奇博物館へようこそ ─ 西洋近代知の暗部をめぐる旅

猟奇博物館へようこそ ─ 西洋近代知の暗部をめぐる旅

  • 作者: 加賀野井 秀一
  • 出版社: 白水社
  • 発売日: 2011/12/23

猟奇的という文脈のもとに、古今東西の異貌のオブジェを博物館さながらに紹介している一冊。キュレーションのお手本のような構成だ。

本書には解剖学ヴィーナス、デカルトの頭蓋骨、腐敗屍体像にカタコンベ、奇形標本などのグロテスクな写真がふんだんに登場する。それでいて上品さが損なわれていないのは、対象人物や、その思想へのリスペクトを欠いていない著者の語り口によるものであろう。

例えば哲学者デカルトは、紆余曲折を経て頭蓋骨と身体が別々の場所に葬られている。この事実を紹介した後の、著者のコメントが憎い。

それにしても、心身二元論の標榜者にふさわしく、デカルトは今日もなお、形而上的な頭蓋と形而下的な四肢の骨とを別々の場所に眠らせているのだねぇ。

また、功利主義思想家のジェレミー・ベンサムも負けてはいない。一望監視装置「パノプティコン」の考案者にふさわしく、自身の姿をロンドン大学にて衆人環視の中にさらし続けているのだ。一方で、我らが日本の代表選手は小野小町。肉体が腐敗してゆく過程を九段階に分けて描写した「九相図」というものが紹介されている。美は移ろいやすいがゆえに、美しいのであるという。

本書の序文には、「ひとたび足を踏み入れれば、もはや後に引き返すことはできません。いいですかな。よろしいかな、覚悟してお入りあれ」と書かれている。さて、どうします?


バカな研究を嗤うな ~寄生虫博士の90%おかしな人生力 (tanQブックス)

バカな研究を嗤うな ~寄生虫博士の90%おかしな人生力 (tanQブックス)

  • 作者: 藤田 紘一郎
  • 出版社: 技術評論社
  • 発売日: 2011/12/16

今年最後のちょい読みは、うん、この話題で。いかん、間違えた。ウンコの話題で!本書は寄生虫博士・藤田 紘一郎氏の自叙伝的な一冊。その人生の節目節目に、大きくウンコが関与する。

子供の頃は、芋や野菜の肥料に使うためのウンコ運びをしながら、すくすく育った藤田少年。医学部時代に、トイレでばったり出会った教授に声を掛けられ、熱帯病の調査に帯同したのがウンのつき。整形外科を目指していた運命が、大きく変わった瞬間でもあった。

また、医師としてインドネシアにも駐在。ウンコの流れる川で平気に遊んでいる子供たちが、日本の子供よりずっと元気であることに気付き、キレイとキタナイが逆転するくらいに人生観が変わったそうだ。

一方で、専門家らしくウンコの分析にも余念がない。これまでにウンコ集めのために訪れた国は70か国。世界中から集めたウンコの数が10万個近く。その大量のウンコを情報源とし、数々の知見を生み出している。

例えばその一つに、日本人のウンコの減少化ということが挙げられている。戦前の日本人のウンコは、一人あたり350~400グラム。それが今では150~200グラムまでに減少。これは、日本人の食生活が欧米化した結果、腸内細菌の餌である食物繊維の摂取量が極端に少なくなったことに原因があるそうだ。

しかも、ウンコの大きさが自殺率と大きく関係するとまで言うから驚く。食物繊維摂取量が多くウンコも大きい、ウンコ先進国のメキシコを見てみると、自殺率が非常に低いという。例外もあるのだが、概して食物繊維を多くとっている国ほど自殺率も低い傾向にあるのだ。

著者いわく、長年のウンコの研究によって最も役立ったのは、誰もが嫌う寄生虫やウンコを対象とすることで、嫌われ者の気持ちがよく分かるようになったことであるそうだ。その結果が、人とは違った視点から物事を捉えるということに結び付いたというから、人生なんてわからないものだ。うん、これ大事!

それでは、みなさん良いお年を!

このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント等につきましては、Facebookページの方でお願いいたします。

ノンフィクションはこれを読め!HONZも、あわせてよろしくお願いいたします。

Comment(0)