【書評】『ヌードルの文化史』:麺の広がり
1位カレーライス、2位ラーメン、3位焼肉、4位寿司、5位ハンバーグ、6位パスタ、7位ステーキ、8位グラタン・ドリア、9位サラダ、10位チャーハン、小中学生の好きな料理ランキングの結果である。4位に寿司が入ることで、かろうじて和食の面目は保ったというところか。しかし、いまや国民食といえるもののほとんどは、外来のものがルーツとなっている。
なかでも注目したいのは、ご飯という呼び名がお米を指すくらいに米を主食とする日本でも、麺類が二品目ランクインしていることである。なんといっても麺は、安くて手がかからない。乾燥させたものは保存性に長け、短時間で調理できる。そんな庶民の味方である麺は、世界各地で見た目や味付けを変え発展してきた。本書はそんな麺類の文化史を紐解いた一冊である。
著者は、スイス出身のジャーナリスト。麺好きが高じて本書を執筆することになったというから、さぞや取材にかこつけて各国の麺料理を食べまくったに違いない。日本を始めとするアジアの麺事情にも驚くほど明るく、西洋、東洋における麺の文化をフラットな立場で描いている。
それにしても悩ましい一冊である。パラパラとページをめくっただけで本書が面白いのはわかるのだが、どのように読んだら一番おいしいのかなどと考えてしまう。麺の調理方法がさまざまであるように、本書の読み方もさまざまだ。
麺の広がり方を見れば、人の交易の歴史がわかるというほどだ。本書によれば、麺の起源はメソポタミアという説が濃厚であるそうだ。現在のシリアまたはイラクかアフガニスタン北部あたりである。その歴史の始まりは、旅行者の携帯食であったという。それがシルクロードを通じて世界各国に広まったのである。
本書では、ヨーロッパから東南アジアまで、さまざまな国の麺の歴史が紹介されている。その中でも、特に注目したいのが、中東から東西へ広がる過程においてそれぞれハブ的な役割を果たした二つの都市である。
西洋のハブはいわずと知れたイタリア・ナポリである。その語源がネオポリスから来ていることも知られるこの都市は、イタリア人の町というより多国籍都市として栄えた。乳香、ワイン、桜桃、バラ、人間、思想、新しいものやエキゾチックな東方のものは、まずナポリに到達して、西欧各地に運ばれたという。しかし、意外なことに麺だけは少し経路が違うようである。スペインからシチリア島を経由してナポリに伝来した可能性が濃厚であるという。
一方で東洋のハブはというと、ウズベキスタン、トルキスタンをはじめとする中央アジアである。中央アジアは、さまざまな文化と宗教が共存する地域であったがゆえに、麺料理もさまざまなものが共存していたという。まさに、マルチカルチャー都市としての一面を持っていたのである。この地域では代表的な麺料理は、ラグマンやマンティと呼ばれるものなのだが、今では時代遅れとみなす傾向が強く、過去のものになりつつあるそうだ。ナポリではいまだに家庭の味として根付いているのに比べると、対照的なありさまである。
また、社会の階級間における広がりを見ていくのもの面白い。イタリアではルネサンス時代までパスタは高級品とされ、貴族や僧侶のみが食べられるものであったという。これがルネサンス以降のナポリにおいて、プレス機などによる機械化がすすみ、マカロニの値段がどんどん下がっていった。その結果として、飢えを満たすように、貧しい庶民にも広がっていったという。上から下へという移動なのである。
ところが、日本における麺類の広まりは少し以上が違う。最も古い麺類である蕎麦は、はじめから粗野な食物とみなされ、労働者をはじめとする庶民の食事であった。これが後に豪族などに食べられるようになるというボトムアップ的な広がり方をしていくのだ。日本が何事もトップダウンで決められないのは、この頃からの伝統なのだろうか。
全編を通して掲載されているイラストも、非常に印象的だ。パスタを髣髴とさせる黄色がかかった色合いが、麺やそれを取り巻く人々の魅力を引き出している。いずれにしても、本というものの持つ優位性をこれほど体現している一冊もあまりないだろう。本書に登場する麺類を全て食べようと思ったら胃袋がいくつあっても足りない。これを数時間で、存分に堪能することができるのだ。願わくば、食卓で料理が出てくるのを待ちながら、お腹を空かせて読みたい一冊である。
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