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【書評】『コンニャク屋漂流記』:荒波を乗り越えてこそ今

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著者: 星野 博美
文藝春秋 / 単行本 / 397ページ / 2011-07-20
ISBN/EAN: 9784163742601

五反田に「うどん」という名前の店がある。名前が「うどん」なのに、カレー屋。それもただのカレーではなく、スープカレーがメイン。店主は店では寡黙なのに、Webサイトを見るとご飯とカレーは別々に食べろだとか、取材は石野 眞子以外はお断りだの、何かと注文が多い。本人はいたって真面目なのだが、それだけでおもしろ可笑しく見えるのが、この店の魅力だ。

本書を一読して、まず思い出したのがこの店だった。著者は五反田出身のノンフィクション作家、星野 博美氏。そして、その先祖が、名前はコンニャク屋なのだが職業は漁師という一族なのだ。本書は、そのルーツを辿る珍道中。千葉県御宿の岩和田を舞台とする漁師たちの人間模様が、普通の日常を描いているだけなのに、いちいちツボにはまる。

思い返せば、最近ルーツをテーマにした書籍によくあたる。高橋 秀美・著『ご先祖様はどちら様』もそうだったし、鈴木 遥・著『ミドリさんとカラクリ屋敷』などもその類である。なぜ今ルーツかと言われると、その気持ちはわからないでもない。元禄の大津波も、関東大震災も、世界恐慌も、赤の他人ではなく、自分と血のつながった人々が乗り越えてこそ今があると思えるからだ。

『ご先祖様はどちら様』のルーツ探しがボケ系の面白さならば、本書はツッコミ系の面白さだ。著者によると、元来漁師というのは、ホラ吹きの人種であるそうだ。「板子一枚 下地獄」という緊張感に満ちた職場で働く漁師たちは、陸に戻ればホラを吹きあって、笑いを生み出す。著者の子どもの頃のエピソードも多く登場するのだが、大人になり事情の理解できるようになった今だからこそ、時代を超えてツッコミを入れていく。

本書の購買を最もおススメしたい人は、なにか日常が面白くないと感じられている人達である。前半は、漁師たちの今昔のエピソードが御宿、五反田を舞台に、次々と繰り広げられていく。ところが面白可笑しく描写されている数々の逸話も、エピソードだけ切り取ってみると、どの家でもありそうな話なのである。それを著者特有の視点で切り取ることで、笑いがどんどん広がっていく。要は、毎日の生活が面白いかどうかというのは、周りに面白い対象がいるかどうかではなく、面白い見方をするかどうかという、受け手の問題であるということに気が付かされるのだ。

一方で、ルーツ探しの方はというと、後半、祖父の手紙の中に見つかった思わぬ記述から、大きく展開が変わる。祖父の残した日記の中に、「住民は大体、紀州方面から来たといふ説があります。」という一文が見つかり、著者は和歌山へと赴くことになるのだ。徳川家康の江戸開府のころ、多くの漁業先進地域である関西地区から房総半島へと、鰯を求めて大量に漁民が移動した時期があるといい、著者の先祖も、どうやらその一人のようである。それにしても、日本にもアメリカに先駆けてゴールドラッシュのような開拓精神の時代があったとは驚きだ。

和歌山でのルーツ探しの戦績は、一勝一敗というところだろうか。前半は、著者の妄想や推測も織り交ぜながら次々とピースが小気味よく組み合わさっていく。しかし、後半は何もかもがうまくいかない。勝敗を分けたものは、アーカイヴの差である。和歌山県は、徳川御三家という土地柄か、地域の歴史をとどめておこうという意識が非常に強いという。この恩恵にうまくあずかることができれば、公的なアーカイブと私的なアーカイブをうまく組み合せることで、ドラマチックな出来事を迎えることができるのだ。いずれにしても、最後にはどんでん返しが待っているわけなのだが・・・

余談だが、偶然立ち寄った五反田の本屋で、本書が「おらが町のヒーロー」と言わんばかりにレジ前に大々的に陳列されているのが何とも言えず面白くて、五反田という街そのものに好印象をおぼえた。都内近郊の方には、五反田の本屋で手に取られることをお勧めしたい。

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