【書評】『ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由』:記憶力の持つ意味
ためしにAmazonで「記憶力」、「記憶術」などと検索してみて欲しい。『○○で憶える、ラクラク記憶術』といった類の本が、溢れんばかりに表示される。もちろんその効能は、玉石混交なわけであるが、多くのビジネスマンや学生にとって、記憶する能力へのニーズがいかに高いかということを示している。
本書もそのような記憶力をテーマにした一冊なのだが、いわゆるマニュアル本、自己啓発本とは、一線を画す内容である。著者は『ナショナル・ジオグラフィック』などでも執筆するフリージャーナリスト。取材ライターとして赴いた全米記憶力選手権で記憶力に興味を持ち、一年後の大会には自身が出場者としてエントリー、ついにはチャンピオンになってしまう。本書はその過程を描いた、実験ドキュメンタリー。ミイラ取りがミイラになるという典型のような話である。
◆本書の目次
第1章 世界で一番頭がいい人間を探すのは難しい
第2章 記憶力のよすぎる人間
第3章 熟達化のプロセスから学ぶ
第4章 世界で一番忘れっぽい人間
第5章 記憶の宮殿
第6章 詩を憶える
第7章 記憶の終焉
第8章 プラト―状態
第9章 才能ある10分の1
第10章 私たちの中の小さなレインマン
第11章 全米記憶力選手権
「いいかい、平均的な記憶力でも、正しく使えば驚くほどの力を発揮するんだ」そんな台詞に魅了され、著者はイギリスの若きグランド・マスターの教えを受けることになる。その教えのベースにあるのは、紀元前五世紀、天井が落ちてきたテッサリアの大宴会場のがれきの中にいた詩人、ケオスのシモニデスによって始まったものである。シモニデスは目を閉じて、記憶の中で崩壊した建物を再び組み立て、どの客人がどこに座っていたかを思い出すことが出来たという。このシンプルな発見から、いわゆる記憶術の基盤となるテクニックが編み出されたのだ。
著者のトレーニングも、シモニデスのやり方を正常進化させた「記憶の宮殿」という方式である。自分が憶えなければならないTo-Doリストを、自分のもっている素晴らしい空間記憶を利用し、各々の場所にイメージとして置いていくのだ。それが人の名前や数字であったとしても、同様である。要は、記憶に残りにくい情報を、心が惹きつけられる視覚映像に変換して、頭の中の宮殿に配置していくということなのだ。このようなトレーニングを積んだ人にとっては、仮に思い出せないことがあったとしたら、それは記憶の不備ではなく、認知の不備に原因があるということになる。例えば、卵という言葉を思い出せなかった時には、白い壁のところに置いたために、背景に溶け込んでしまって見落としたなどということが、本当にあるらしい。
そして、このような記述を目にして疑問に思うのが、この種の記憶術が、なぜ現在では主流でなくなってしまったのかということである。はるか昔、記憶はあらゆる文化の源であったのだ。人類が洞窟の壁に頭の中のことを描き残すようになってから様相が変わり始め、印刷機の登場により事態は急変する。そして、現在のクラウド化によって、記憶を外部に預けるということが、手の平の上で、瞬く間に出来るようになったというのはご存じの通りだ。その過程を経る中で、博学であるということは、内部に情報を保有しているということから、外部記憶という迷宮のどこで情報を手に入れられるか知っているということに変化していったのである。
本書を通して著者が投げかけているのも、現代における記憶力の持つ意味、そのものである。その問いに対する著者の答えは、「私たちの実態は、記憶のネットワークである」というものだ。面白いものを見つける、複数の概念を結びつける、新しいアイデアを生み出す、文化を伝える、そういった行為において記憶力は必要条件であり、基盤となるものでもあるという。記憶と想像は、コインの表と裏のようなものなのだ。この主張、著者の実体験が伴っているだけに説得力がある。
一方でこの問いを、外部記憶としてのWebサービスが今後どのようにあるべきかという問題に置きかえて考えても、示唆に富む内容となる。能動的、線形的にアクセスする現在のあり方から、溢れるような受動性と無秩序なアクセスという、実際の記憶に近いあり方へ変化させるのだ。この変化が創発的な思索を生み出すようになれば、外部記憶は新たなブレークスルーの時を迎えることができるのかもしれない。
表題には「ごく平凡な記憶力の私が」とあるが、著者がジャーナリストとして有能であるということに疑う余地はない。本書には、『ザ・マインドマップ』でおなじみのトニー・ブザンや、『僕には数字が風景に見える』のダニエル・タメットといった著名人も登場するのだが、彼らとのエピソードや、その人物評を読むだけで、それがよく分かる。
記憶力のメカニズムと歴史的背景の解説、全米記憶力選手権への挑戦、記憶力の意味を投げかける論考と、扱っている範囲は実に幅広く、一冊で三冊分くらいのオトク感があると思う。忘れることなく、ぜひ手に取っていただきたい一冊である。
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