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【書評】『パラダイムでたどる科学の歴史』:サイエンス、テクノロジー、ソサイエティ

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著者: 中山 茂
ベレ出版 / 単行本 / 302ページ / 2011-06
ISBN/EAN: 9784860642792

「今、まさにパラダイムの変革期」などという言葉を、よく耳にする。しかし、この台詞、いつの時代にも言われてきたような気もする。実際に、いつの時代にも変革は起きているのだろう。問題は、それがどの程度の規模のものなのか、どういった意味を持つのか、その全容を変化の最中に把握しずらいことにある。

これを見据えるための有効な手段として、過去に起きたパラダイムを検証するというやり方がある。今まさに起こっている変化を点として見るのではなく、過去からの時間軸に沿ってプロットすることで、明確になることは多い。本書は科学の歴史を、そんなパラダイムに沿って見つめ直した一冊である。

◆本書の目次
第1章 「科学」と「科学史」をどう読むか
第2章 天動説から地動説へ - コペルニクス、ティコ・ブラーエ、ケプラー、ガリレオ
第3章 「17世紀科学革命」 - ニュートン・パラダイム
第4章 産業革命から化学の時代へ
第5章 19世紀、化学の時代を育んだ大学
第6章 20世紀は物理帝国主義から生物・生命の時代へ
第7章 21世紀を支配するコンピュータ、デジタルのパラダイム
第8章 科学と社会の関係ということ

パラダイムとは、「一定の期間、科学上の問い方と答え方のお手本を与えるような古典的な業績」のことを指す。著者によると、史上最大の科学上のパラダイムはニュートン・パラダイムであるという。その所以は、万有引力の法則というニュートン力学のプラットフォーム上で、数百年もの間、さまざまな研究者たちが学問を推し進めることができたというところにある。たった一つの原理が、天体力学から地上の力学を経て、化学、生物学など諸学の力学化を推し進め、通常科学に無限の進路を与えることとなったのだ。

このニュートン力学に至る前には、機械論というパラダイムがあった。ガリレオに端を発し、デカルトによって結実した機械論とは「すべてのものは神が機械的に創った。そのすべてのものを動かし始めたのは神である。したがって、すべてのものは機械的に動いている」というものである。最終的には原子・分子に還元して、研究すればすべての問題は解決するという「困難は分割せよ」的アプローチは、後の西洋哲学にも大きな影響を与えている。この機械論からニュートン力学へと遷移したパラダイムシフトは、現代における検索エンジンからソーシャルへという流れにも、どこか似ている印象を受ける。

また、ダーウィンの進化論をパラダイムシフトではないと明言しているのも印象的だ。進化論のメカニズムを証明することで、通常科学が広く発展することはないというのが、その理由である。むしろダーウィンの説を人生や社会に応用したソーシャル・ダーウィニズムという思想への影響の方が大きく、科学ではなく歴史と捉えた方が適当であるそうだ。

さて、それらを踏まえ、現在は一体どのようなパラダイムにあるのだろうか?著者によると、現在のコンピュータによるパラダイムは、あまりにも多岐を極めていている印象を受けるそうだ。いろいろなサブ・パラダイムが発生し、およそその初めのパラダイムの示す通常科学の路線とは、離れたものになってしまうという傾向にある。

これを著者は、ポスト通常科学と呼んでいる。その特徴は、科学技術と社会の問題として扱わなければならないということにある。軍事科学技術の問題、遺伝子工学の問題、原子力発電の問題、科学者たちの頭の中だけでは片づけられない問題が実にに多い。科学技術と社会経済の二つが、切り離すことができない不可分な状態になっているというのが、現在のパラダイムなのである。

いかなる社会的な変化も、根底には科学がある。そしてこの変化を、科学ではない方の目で見ることが、いかに重要なことであるか。改めて再認識させられる一冊であった。

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