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【書評】『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』:必然としてのソーシャルメディア

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著者: 池田 純一
講談社 / 新書 / 2011-03-18
ISBN/EAN: 9784062880930

ウェブからソーシャルメディアへという大きな流れを、アメリカという切り口で描いた壮大なスケールの一冊。アメリカがまだ新興国であった19世紀まで遡り、視点としては社会、思想、コンピューター、メディアまで多種多様。時代や分野を縦横無尽に駆け巡りながら、現在との間に明確な補助線を引いている。こうして見ると、今のソーシャルメディアを中心としたウェブ社会の姿が、必然のように思えてくるから不思議である。
◆本書の目次
プロローグ
第1章:ウェブの現在
第2章:スチュアート・ブランドとコンピュータ文化
第3章:Whole Earth CatalogはなぜWhole Earthと冠したのか
第4章:東海岸と西海岸
第5章:Facebookとソーシャルネットワーク
第6章:アメリカのプログラム
第7章:エンタプライズと全球世界
第8章:Twitterとソーシャルメディア
第9章:機械と人間
エピローグ
通常はブラウザー以上のレイヤーでしか語られないソーシャルメディアを、OSのレベルから問い直した論考とでも例えれば良いのだろうか。そのOSこそが、アメリカ社会のメカニズムに該当する。アメリカ社会に特徴があるとすれば、それはどこかで信じたもの、考えたものが実現すると思われるところにあるそうだ。ダーウィンの進化論を否定したアメリカでは、進化は自然におこるものでなく、人間の意志として行われるという意識が根強いのだ。それゆえに、アメリカというプログラムはハッキングされ続け、状況に応じて更新・改変がされ続けている。その大きな流れの中のプロセスの一環として、現在のApple、Google、Twitter、Facebookが存在している。

一方で、日本というOSをバックボーンに持つ我々はどのように考えたらよいのだろうか。もちろんOSが違ってもソーシャルメディアは機能する。ただこの全球時代に鎖国時代のようなスコープでものを考えても、生み出される社会変革は小さく、先行きは暗い。アメリカの統治構造が州と連邦の二層構造であり、その拮抗を基盤にしながら変化が起こってきたように、日本的OSとアメリカ的OSの間をゆらぎながら、可塑性を持った変化を生み出して行くのというのが、今後のベターな
在り方のように思う。

今回の3.11という出来事は、確実に日本をアメリカ的OSの方へと誘っているように思える。「pray for japan
」という号令のもとに社会に参画し、助け合いながら復興への道を思う気持ちは、Googleの「世界中の情報を整理する」や、Facebookの「世界を透明にし、良き世界を実現する」というミッションに近しいものではないだろうか。違いは日本ではエンタープライズ中心の動きより、個人としての動きの方が目立っているということだ。

著者は、今のようなプラットフォーム全盛の時代には、クリエーター、プレイヤーという役割よりも、場を構築するアーキテクトの担う役割の方が大きいと主張する。その中で印象的だったのは以下のフレーズ。
アーキテクトとしての役割を担うことが求められるビジネスマンは、場をどのようなルール=統治様式のもとで治めたらよいか、にこそ知恵を絞らなければならない。どのような場を設定するかという課題は、どのような都市を作りたいか、その都市をどのように構築したいかという建築家や政府関係者の課題と同類のものである。だから、今後のウェブの構想力を捉えるためには、実は、社会に関わる思想や哲学に関心を寄せる必要が、これからのビジネスマンには出てくる。
3.11が引き起こしたのは、従来進行しつつあったパラダイムシフトが加速しているだけなのか、それとも別の方向に舵を切り替えたのか、思想、批評における当面の変化にも注目していきたいと思う。


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