【既読スルー】メールの返事がないのは了解という意味?
5ほど年前、まだラインが登場していないころの話しです。
メールでの問い合わせをいただいていたのですが、旅行中で3日ほどお返事が出来ないことがありました。
帰ってみて驚いたのは、この問い合わせが既に「了解済み」となっていて、計画が実行されつつあったのです。
その件は私が責任者でしたので、問い合わせいただいた人に「どうして?」と直接聞いたところ「普通、返事がないのは良い返事、『了解』という意味なんですよ。」とおっしゃいます。
状況を説明し、この件はなんとか回避して周囲のメンバーに迷惑をかけないで済みましたが、計画を取り消されたご本人は、いたく不満を抱えてしまったのが残念でした。
もし自分だったら、返事がなければ、「忙しいのでは?」と想像し、もう一度メールをして待ってみたり、「もしかして不在では?」と思えば電話をかけたり、何らかの対応したと思います。まず、返事がないまま実行することはありません。
本当に「了解しました」という確実な返事をいただければ安心して計画を実行できるからです。
もし、後日「違う」と言われたとしても、返事の文字が残っているだけでも、だいぶリスクは回避できます。その件があってから怖くなってしまい、出かけ先でもネットのつながるホテルをとるようにしています。ただ、山奥に入ることも多く、そういうところはまずソフトバンクは繋がらないので、ホテルに帰るまで不安な感覚がぬけません。
ただ、それ以後あまり「返事がないのは良い返事」と解釈する人にお目にかかったことはありませんが、そのときの体験は今でも強く印象に残っています。
そして、最近、ラインでは「既読」と表示されるために、いろいろなトラブルが起こっているという記事を見ました。
リンク→拉致監禁事件に発展も 「既読スルー」が生むストレス
・・・・(以下引用)・・・・
送ったメッセージを相手が読んだか分かるLINEの「既読機能」。これが子どもたちの間で、いじめなど思わぬトラブルのもとになっている。「既読」なのに返事をしないことに腹を立てたり、相手に嫌われたのではないかと悩んだりするためだ。
(中略)
(既読スルーされた)ことに憤慨。男性と交際していた女子中学生を呼び出し、カラオケ店などで15時間監禁したのだ。少年の1人は犯行動機について、「既読スルーされ、腹が立った」と答えている。
(中略)
ある大学のゼミのグループでは、先生がレポートの締め切りをLINEのトークで送ったところ、既読にはなったが、返事が一つもなかったことがあったという。返事がないことを「無礼」と感じた先生が学生に問いただしたところ、「『既読』をつけて何も返事をしなかったのは『了解』という意味。グループの人数と既読の数が一致している、つまり全員が読んだということだから問題ない」と説明されたという。この時、先生はLINEをメールの延長線上で考えていたが、学生は新しいツールを使った別のコミュニケーション手段ととらえていたわけだ。
・・・・(以上引用)・・・・
この記事では、同じ「既読」でも人によってとらえ方はまったく違っているということでした。
返事がないことを心配しすぎてしまったり、相手に返事を強要してしまいすぎるのも考えものです。
ラインの場合は、メールより気軽なツールのため、「既読OK」という文化もアリなのかもしれませんね。
私の場合は、自分のメールに対してすぐお返事をいただけないのは、「相手がお返事を出来ない状態にある」と想像し、もう一度メールするか、緊急でなければお返事を待つようにしています。
メールというのはそういうものだと思っているからです。緊急であれば電話をすれば良いと思います。出なくてもメッセージを残せば、取り急ぎ伝わるからです。
ただ、自分は可能な限りお返事はすぐするようにしています。
お返事が速攻で出来ない状態、または、お返事にあたって調整に時間が必要な場合もあります。そういうときは「調整が必要です。少しお待ちください」と短いメールをするようにしています。そうすれば、相手は安心するからです。
このときいつも思うのは、「『働く』とは、傍(はた)を楽にすること」という言葉です。
傍とは周囲の人という意味です。
相手の立場を思い、お互いが仕事が楽になるようにすること。そうすれば、仕事も上手く行き、自ずと発展していくのではないかと思います。