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ライフワークとしての学びを考えます。

文化を育てる 聴くゆとり

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声楽家のリサイタルに行くと、第一曲からその方の最高の声を聴けることは滅多にありません。
 
硬さがとれ、喉が温まって、リハーサルとは違う「お客さんの入ったホールの響き」に慣れてくるまで少し時間が必要だからです。これは、どんなに有名な歌手でも同じです。
 
特にクラシック音楽の歌手はマイクを使用しないので、その方の声がダイレクトに分かりやすい。
ものすごく期待して行ったのに、最初の数曲で残念な思いになってしまう方もいると思います。
 
しかし、最初の数曲で調子が出ないのは当たり前。「まだまだ本領じゃないな」と思っていつも聴いています。
 
大抵、一流歌手のお客さんというのは、長年聴きこんでいて感じを良く分かっているので、そのあたりは余裕を持って聴いています。
 
聴く方も、理解とゆとりが必要なのです。
 
先日、音楽マネージャーの方と話していて気になったことがありました。
 
「この頃の若い人は、プログラム最初の第一曲から技巧的で難しい曲をぶつけて、客の心をつかもうとするんだよね。世の中に出て行きたい気持ちはよく分かるけれど、感心しないな。長く歌いたいなら、喉に良くないよ。」
 
「お客さんも、最初に強いものを持ってこないと”聴かない”、”飽きる”、という傾向にあるから仕方ないことなんだ。でも、”最初はこんなもんかな”くらいの余裕を持って聴いてほしいよね。」
 
声楽家出身のマネージャーさんは、近頃のリサイタルや声楽コンクールのあり方を心配していました。
 
客席が「いい感じ、この調子なら後半はもっとよくなりそう」と思って聴いていれば、拍手の様子からその気分が伝わり、歌手も調子を上げていきやすい。
これは不思議なことなのですが、舞台に伝わっています。
 
良い演奏をすれば、お客さんに喜んでもらえて、演奏者も気が高まっていき、さらに良い演奏をする。
 
この良い循環が起きれば、コンサートは素晴らしいものになるのです。
歌手だけが頑張っても、良いコンサートにはならないのです。
 
良いお客さんというのは、拍手のタイミング、「ブラボー」の声のかけ方などをよくわきまえていて、同じ客席に座っていて心地よく、コンサートが心から楽しめます。
 
客席に座っている側も、良いコンサートにしよう、演奏家を育てよう、という余裕とゆとりがあると、さらに文化が深まっていくのかもしれませんね。
 

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