国際課税の難しさ
パナマ文書が問題になっている。この存在のおかげで、それまでOECDやG20で合意してきた徴税当局の情報交換に関する考え方を、欧州中心に見直してさらに厳しくするという話が出ていたりするし、とうとうサミットでも取り上げるという話が出ている。
だが、もちろん脱税は困るのだが、問題にされているのは概ねそれぞれの地域での規制などに従って行われてきた取引であり、これをダメだと言っても、過去の取引に制裁を加えることは出来ないし、今後についても、全ての地域が同意し情報を提供し、加えてどこかで課税する仕組みを作る必要があるので、簡単なことではない。
それにも増して不思議なのは、良く考えてみると対象になっている地域は、欧州各国の領土であるケースが多く、そもそもある意味で自らの問題を指摘しているような部分がある点だ。もともと米国企業の極めて高度なタックスプランニングとこれを踏まえた租税回避を発端として始まった国際課税強化の欧州の流れだが、徴税権は国家の主権であり、極めて有能な米国の税務弁護士の能力を踏まえると、制度をどう作ろうと必ず抜け道はあるので、なかなか捕捉は難しいと言わざるを得ない。
ましてや、今回はたった一つの法律事務所の情報に基づくのであり、取引が何重にも亘る重層構造で行われることを想起すれば、これに関わる全ての国が情報交換に同意することが必要になるので、全容を解明するのは不可能に近い。要は、それぞれの国家の政治にかかわるトップなどが、このような租税回避行為をすることが道義的に好ましくないというのが、本件騒動の実態であって、志向していることは現実的でもないし、益々徴税コストを引き上げ、事業経営に足かせをはめるもので好ましくないと考える。
それにしても、我が国の仕組みが崩壊しつつあるのを目の当たりにするようだ。神宮球場の東京五輪に関連した利用についての話を見ていると、組織委員会のお上意識には理解できないものがあるし、三菱自動車の25年に渡る不正を見ると、リコール事件、空飛ぶタイヤ事件は何だったのと言わざるを得ない。
ある意味で、五輪という錦の御旗の下に何でも許されるという甘えというか、要はお上はしもべに対して何でも命じることが出来るという、現首相の立憲政治を覆す思想がそのまま反映されているように思える。一方で、ブラジルや韓国のオリンピック準備状況について、いつも簡単に批判し、更にはセウォル号事件などで、他国の体制のずさんさを批判している我が国のマスコミや我々は今一度自らの足元を見直すべきだ。
つまり我々自身、とても恥ずかしい政府運営、企業倫理の下にあるということを認識すべきだ。本来米国の不祥事をきっかけとして強化された世界のコンプライアンスの強化の流れは、全く異なる文化・社会的な基盤を有する我が国には不要な部分も多々あるという考えもありうるし、何の責任も取らない会計事務所だけが潤う仕組みはおかしいと、私も主張してきたが、このような事態が露見すると、残念ながら一言もない。
そのような状況の下、今度は東京都知事の海外出張、別荘通い、更に政治資金の流用。それぞれに何らかの説明をつけてうまく逃れようとのスタンスだし、なかなか個々に法的に責任を追及するのは難しいだろう。だが、例えば政治資金の流用など、個人の支出について領収書を取ること自体、要は何らか税金の恩典を受けようということが常態化している意識から出ていることは明確であり、それに高額の海外出張のホテル代や別荘通いでの公用車の利用を勘案すれば、要は出来るだけ公費を使って自らの資産を増やそうという卑しい人物であることは間違いないのであり、何らか政治的に放逐する手段が取られることを期待したい。
そして、本件についても通り一遍の報道しかできず、三菱自動車についても日産との提携の話が出た途端にそちらに報道の方向を転換する我が国のマスコミのレベルの低さには、改めてがっかりだ。
一部の読者の方にまた批判を浴びると思うが、そもそも何故ベッキーの問題がニュースになるのか分からない。大人なのだから不倫も含めて恋愛は自由。それが契約違反かどうかは個々の契約の問題。それがマスコミから消えるのも復活するのも、あくまで1タレントの問題であり、彼女がどうなるか関心のある人間など、本当に数百人か数千人のマスコミ関係者だけ。それにも関わらず仲間内だから報道するという意味不明の行動をする我が国マスコミに、知性が育たないのはある意味で当たり前かもしれない。