休みを増やすことが良いことか?
今週のお題は「やる気を出す方法」。まあ、やる気のない人間にどんな方法も無駄だと思うが、ただプレッシャーで空回りしているような状況であれば、これを何とかする方法は少しはありそうだ。
ともかくも一番大事なことは自然体に戻ること。自分の能力を超えて何かを実現しようとしても不可能だし、結果として益々落ち込むだけ。もちろん人生の目標とか夢は、そもそも実現しないほどの高いレベルに求めるべきだ(そうでなくては人間進歩しない)が、一日や一週間の行動は、出来ることをコツコツやるしかない。
中学の時の話題だが、勉学レベルがほぼ同じ仲間で、期末試験などの準備を始めると、必ず朝に「おれはここまで進んだ」などという会話になる。これは、そもそも真実が語られているかどうかも疑問だが、いずれにしてもその他人の進み具合がプレッシャーとなり、自分が進んでいないことで焦りを覚えるという悪循環に陥ることになる。
これを解決したのは、結局自分が出来ることしか実現しないという、ある意味の諦観だ。だから、自分の出来る範囲のことをきちんと一日一日進めていくしかない、これが私の当時の処世術だった。
ところで、今度は「山の日」だそうだ。もちろん休みが増えるのは嬉しいことだ。だが、わが国は世界一国民の祝日が多い国。何故こうなってしまったのだろう?
確かに、祝日を増やすでもしないと、そもそも真面目なのでなかなか休みを取らず、国際比較上も労働時間が多くて批判を浴びる、というのは理解できないでもない。
だが、何故祝日だけが解決策なのか?これまでも、随分新たな祝日が作られてきたが、ではこれで本当に休む時間が増えたのか?結局、長期の休みと言えば、ゴールデンウィーク、お盆、年末年始で、その間の混雑は変わらない。
やはり、ここは祝日を増やすというより、より根源的な課題を検討すべきではないか?つまり、何故日本人はもっと長期の休暇を取らないのか、ということだ。その理由の一つが、お題の「やる気を出す」とも関係しているのではないか?
もっとオン・オフをはっきりすることが必要ではないのか?ということだ。そしてもう一つは学校の問題。つまり家庭が自由に子供を含めた長期の休暇を取ることに対する、体制としてのネガティブな仕組みではないか?
そして、これはまた先行き議論したいが、考えてみればわが国では学ぶことはせいぜい大学までで終わり、あとは学んだことを使って会社に貢献するという人生に見えるのに対して、例えば欧米は学校を出た後も、社会や人生に関する学びが続いているのではないか、という気がしてきている。