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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

オリンピックを本当に成功させるには?

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この週末も出かけていたので、遅くなったが、ちょうどメディアをオリンピックの話題が席巻しているので、一言。

以前にも、このブログでも書いたが、私は日本でのオリンピック開催には反対だ。先進国や強大な急成長国が開催を独占していること自体が、本体の精神に反するのではと思っているし、日本が開催できる資金があるのであれば、資金のない東南アジアの諸国での開催を支援するとか、要は開催による経済効果をもっと周辺国に享受させるようにすべきだと考えている。

ただ、ともかくにも開催が決まったのだから、今度は浮かれていないで、世界の中で信頼が薄いわが国が、しっかりと評価されるように開催をすべきだと考える。まず、重要なのは原発だ。汚染水は政府が責任を持って、などと言っているが、問題はそのような対症療法ではない

そもそも発生から2年半たっても、炉の中がどうなっているか分からない、これが判明するまで10年かかるというのが政府の公式見解で、本当に7年後に世界の皆さんにおいでいただくことが絶対安全だと言えるのか?このあたりの無責任さには背筋が凍る。どんなに財政負担をしても、わが国の技術を集結して、福島の実態を把握し、その上できちんと対策を打つ、更にはその情報を世界中に隠すことなく公表することが必要だ。

このようなコストを政府が負担するのは、本来東電の責任なのでおかしいのでは、などという議論があるようだが、具体的手法は別にして、国民の、更には来日する外国人の命を守るのはわが国の責任、まずは政府が負担し、その上で必要であれば東電に請求すれば良い。そして、このような技術が完成すれば、それこそその技術そのものが世界に貢献すると考えれば、決して無駄なコストではないと考える。

もう一点、大事なのは、開催のコンセプトだ。都知事がオリンピックはビジネスだと言い放つ、そういう発想がそもそも問題だと思う。経済効果が3兆とか150兆とか言うし、日本の技術を世界に示すのだなどとも言う。わが国はオリンピックという形でしかその技術水準を世界に示せないのか

最先端のスタジアムなどが本当にオリンピックの本質なのか?1964年の東京オリンピックでお目見えした新幹線は、確かに素晴らしいものだったが、同時に出来た首都高速道路はその後のモータリゼーションの予測すら不十分な大失敗だということは明白だ。オリンピックを契機として大型投資を行うという発想自体、旧態然としているし、そもそも先を見越した投資を実現する力は今のわが国にはない。

尖閣とか、竹島での周辺国の動きに反応し、諸外国の政府・産業挙げての誘致・売り込み合戦に同調する、既に20世紀の旧体制としか言えないような、国家間の競争に相変わらず明け暮れるような、そういう精神でわが国もオリンピックを運営するのであれば、それこそわが国の落日につながると私は思う。

是非、戦争の世紀を経ても、相変わらず紛争を繰り返す人類の愚行に背を向け、胸を張ってクーベルタン男爵の理想を高く掲げ、平和の祭典として、豪華でも最先端でもないが、参加した人々が人類のお互いの大事さを認識し、観戦している人々が共にこの世界を豊かでなくとも皆が安心して暮らせるようにしていこうと感じられるような、そんなオリンピックをどうすれば開催できるか、これからの長い時間の中で、真剣に考えるべきだと思う。

商業主義、最先端、大規模、などの言葉はオリンピックには似合わない。「より速く、より高く、より強く」という言葉を、今こそアスリートの努力と、世界平和に向けた人類の努力にささげたい。

 

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