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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

まずは国民の命を大事にする政治を!

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ゴールデンウイーク中は、ずっと海外で、あまり日本のニュースを見ていないが、ちょっと気になったことを一言。

この間、原発の関係でもんじゅについて、活断層があるかどうかが問題になっているとの報道があった。確かに、地震のリスクを考える上で、活断層の有無は重要なことなのだろうと思うが、それだけで判断して良いのか?

所詮地震がどこで起きるか、或いはいつ起きるかなど、現在の人類の科学水準では分からないわけで、活断層だって突然新たに発見されたりするのだから、現在の知見レベルだけでその地域に住む人たちの安全を判断するという発想自体間違っているように思う。結局その段階で例えば原発を稼働させるなどの判断をすることについて、あとで何か言われた時に、その時分かり得る限りでは、リスクを認識できなかったと言い訳するためだけではないのか?もっと本質的な政府の責任である、国民の命を守るというところから発想して欲しい

憲法改正の議論が、ちょうど憲法記念日と重なって頻繁に行われていたが、これにしても再三指摘しているように極めて疑問だ。私自身改正論者ではあるが、アメリカに押し付けられたものだから、国民の手に取り戻すために簡単に改正できるようにしようなどという乱暴な議論が簡単にまかり通って良いというものではない

事の経緯はどうであれ、現実にわが国の政治システムで合意した憲法であり、その後の社会環境などの変化で修正すべき部分が出てきているとしても、そのわが国の戦後の復興、そして何よりも国民の人権確保に果たした役割は極めて大きいのであり、わが国憲法が硬性憲法であることが、その一つの裏付けとも考えられる。

とすれば、発議に当たって、国会の特別多数を要するという要件は、決して簡単にないがしろにして良いものではない。加えて、そもそも何を改正するのかも明確にせぬまま、発議要件だけを修正しようなどという暴挙は絶対にしてはならない

更に言えば、このような改正の動きに対する周辺諸国の反応について、自国の憲法を改正するのに、諸外国から何か言われる筋合いではない、というのが政府のスタンスのようだが、確かに憲法は国家の中核をなす法律ではあるが、一方で現在の国際社会においては、個々の憲法と国際法秩序との関係も注視していく必要がある。

国連の力に限界があるとは言え、わが国の国際社会における活動は国連主義をもって位置づけられており、その意味では如何に独自の憲法であれ、国際法秩序の下でのものであるのは当然の前提であり、国際社会が様々な国家の集合体で成り立っている以上、その一員として諸外国との共生を常に意識する必要があることは肝に銘じる必要がある。もちろん無用な干渉を許して良いという趣旨ではないが、孤立主義に陥ることがないように期待する

なお、今回の憲法改正の議論は、成人年齢を18歳に引き下げ、参政権をこれに合わせるのと共に、ということも言われているようだが、これとて私からすれば意味不明である。確かに諸外国では成人年齢は18歳というのが圧倒的に多いようだ。これを、刑法犯などの弱年齢化と関連付けて、責任を果たさせるためにという発想もあるのだろうか?

もちろん責任を果たさせるということは、一方で国民としての権利を認めるべきだという議論は一理あるが、これは本来全く別のことだ。誰もが、知識レベルでは現在の若者がより我々の世代より向上していることを認める一方で、いわゆる精神年齢ではかなり劣化していることも残念ながら認識は一致しているところだ。

とすれば、国家の将来を決める参政権を、本当にそんなに安易に与えて良いのか、もっときちんとした議論を進めるべきだ。先の活断層の議論で述べたように、そもそもこのところの政権に国民の命を守るという発想が欠けているように思われる中で、憲法改正という国民の命と権利を守るもっとも大事なものの改正を安易に進めさせることに危険を感じるのは私だけだろうか?

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