命を大事にする社会を!
今週はちょっと遅くなりましたが、相変わらずドタバタの中一言!
原発反対で珍しく日本全国でデモが大掛かりに行われたりして、それなりに関心を呼んでいる。良いことではないだろうか?もちろんデモそのものがどれだけの意味があるかという問題はあるが、さすがに政治家たちが如何に自分たちの考えが国民から乖離しているか気づく機会になれば良いと思う。
ただ、心配なのは、相変わらず民主党政権で、あまりに現実の行政などを知らぬまま中枢に来て、改めて現実に触れて、今度はこれがすべてだと思ってしまうということ。そして基本的に政治家というのは謙虚さに欠けるので、これだけの動きがあっても、多分それは国民が分かっていないからだと思ってしまうことだ。
これは国民を含めて理解すべきなのは、日本という国が、残念ながら国民の命を守るという発想から常に遠いところで運営されてきていることだ。確かに経済成長し、生活は豊かになった。そして、その中で着実に社会保障も充実してきた。
だが、それはただ単にGDPを大きくする、経済分野で世界の頂点に立つ、とりあえず仕組みで国民を豊かにする、ということでしかなかったのではないか?だからこそ、安全保障のために安易に米軍の駐屯を広範囲で認め、原発をその再処理の技術もないのに次々と設置してきたのではないか?
だからこそ、東日本大震災が起こった時も、誰一人官邸も経済産業省も東電も、その周辺に住む国民の命を、或いはこれからの身体への影響を全く考えられなかったのではないか?考えていたのなら、改めてのような対応、安易な警戒地域の解除などはしなかったと思われる。そして、そのような言動が蔓延している中で、他人の命にきちんと向き合う教育が出来るはずもなく、そのような子供の成長が期待できるわけでもないと考える。
これがこのたびのいじめの問題の根源でもあるように感じる。以前にも書いたが、三浦和義氏を救わなかった日本という国は、国民の命を守るという国家として最低限の役割すら果たせないお粗末な国だと感じる。ここから考え直すべきであり、今の政治家は全員その罪の深さに改めて深刻に思いを致すべきだ。