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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

もう少し前向きに、ポジティブにしよう!

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このところ、またまたドタバタしている。月曜日は長野県で事業仕分け、火曜日と水曜日は日印のシンポジウムでパネリスト、この週末からはまた海外出張だ。

明日は、アメリカの9.11から10周年。もう10年経ったのかと感じる。同時に、何故かちょうど半年違う3.11に大震災、世界中が連鎖していると感じるのは私だけだろうか?

考えてみれば、バブルの崩壊から始まって、9.11、リーマンショック、大震災と、ずっと良くないことだけが起こっているように感じる。そしてその間、これらの事象も原因の一部ではあるだろうが、経済も停滞し、政治情勢も世界中で混沌としている。

いつも私が指摘しているように、議会制民主主義や金融システムを始めとして、これまで世界の政治や経済をつかさどってきた仕組みが、明らかに変調をきたし、或いは機能しなくなってきているのは事実だと思う。

そして、その根本的な変革を求められているのは間違いない。だが、そもそも仕組みが問題なのか、ということを改めて問いかけてみたい。日印のシンポジウムで驚いたのは、本当に多くの方がインドから見えていたこと。

一方で、日本からの参加者もいたし、過去の総理経験者なども出席していたが、どうも日本人の側に熱を感じなかったことだ。自分がパネルに座って、インドからのパネリストと議論をする中で、彼らが本気で日本の企業と何かを実現したいと思っていることは、ひしひしと伝わってくる。

しかし、日本の側には、強い積極性を感じられない。もちろんこれからの市場として、或いは生産拠点として、日本の企業がインドに関心を持っているのは事実だし、インド企業に対しても投資信託を通じて相応の投資は行われている。

でも、彼らの積極的な問いかけに対して、及び腰なのが現実だ。もちろん大事な資金や企業の資産を投じるのだから慎重であるべきだというのは当然だ。それにインドはやはり、まだ日本企業としての実績は少なく、地理的にも遠いので、少し考えてしまうのも理解できる。

しかし、どうも問題はインドだからということではない、と感じている。基本的に、サラリーマン社長が増える中で、思い切った決断を出来なくなってきている、またこれを支える本当の意味での経営企画的な機能が失われてきている、ということではないか?

何も乱暴な決断をしろというわけではない。何かのプロジェクトがあった場合に、この可能性とリスクを短時間で整理する機能を有していれば、詳細の詰めは別にしてある程度の合意は出来るはずだし、そうでなければ世界の市場で闘うことは不可能だ、と言いたいのだ。

それが、サラリーマン社長と、その周りにいる腰巾着では、社長は決断できず、腰巾着はただ問題点を指摘するだけ、自らのマイナス点を少なくすることしかできなくなっているのではないか?

どうせ、このまま縮こまっていても前には進まない。だとすれば、多少の冒険を出来るように自分の殻を取りはらって、思い切ってポジティブに考えてみても良いのではないか、というのが今日の提案だ。

いつもリスクだけを考えて、相手に対する信頼を持たなければ、事業など拡充は出来ない。巨大な投資ということではなく、小さな投資を、その代わり信頼関係をベースに始めてみれば良い。どんなに精緻な分析や契約書を作っても、信頼関係がなければ仕事など出来ないのだから。

被災地復興でも、様々なアイデアや若者を始めとした個人・NPOなどの活動が、一歩一歩進んでいる。良いと思ったら、制度とか仕組みなどにとらわれることなく、進めてみたら良いのではないだろうか?

どうもあまりに我々はこれまでのやり方、生き方、役所の仕組み、会社の制度などに縛られ、或いはそれらを気にし過ぎてきたのではないか?もちろんもっと根本の、人の命を大事にするとか、他人を思いやるとか、というところは、これまで以上に大事にすべきだ、それを根っこに持つ限り、もっと自由に様々な機会に挑戦していくべきではないか?そうでなければもう日本という国も、人類の社会も先がないように感じている。

 

 

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