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良い摸倣と悪い摸倣について

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だいぶ前の話になりますが、小椋佳さんが特ダネ!!に出たときに小倉さんとのインタビューで「『シクラメンのかほり』の詞はプレスリーの曲からヒントを得たんですよ」みたいなネタ元の話を盛んにしてました。

ユーミンも「『まちぶせ』の元ネタはフランソワーズアルディの『さよならを教えて』(初音ミクによる同曲)」なんてカミングアウトしていた記憶があります(この話、ソースがどうしても見つかりません、雑誌か何かに載った話だったのでしょうかね?ご存知の方教えて下さいな。)ユーミンについては、プロコルハルム「青い影」→「ひこうき雲」も有名です(さらに言えば、「青い影」はバッハのG線上のアリアのインスパイア)。他にも、「ツバメのように」という飛び降り自殺をした友達を歌った曲で「名も知らぬ掃除夫が路上のシミを洗っている」というような何ともやりきれないフレーズがあるのですが、これも「フランスの詩人の作品からヒントを得た」みたいなことを本人がラジオで言っていたのを覚えています。

個人的な感覚ですが、こういう風にインスパイアの元ネタを正直に話すアーティストには好感が持てます。逆に、(誰とは言いませんが)「自分の作品は自分一人で作り上げた(だから誰にも渡さんぞ)」みたいな態度の人はもうひとつ信頼できない感じがします(あくまでも感覚的な話)。

結局、芸術というものは真空状態から生じることはなく、過去の成果を何らかのかたちで摸倣しなければ生まれないものです。それをわかって創作活動をやっている人はアーティストとして本物だと思います。あのピカソは、"Good artists borrow; great artists steal"と言ったそうです(都市伝説説あり、確認中)。

もちろん、これらのお話しは単なるコピーではなく、創作物として独自の新しい価値が加えられていることが大前提ですが。

中山信弘先生は、「知的財産法の目的は良い摸倣と悪い摸倣を区別することにある」と書かれています(たぶん、『マルチメディアと著作権』だったと思いますが、今、本が見つからなくて確認できません)。

しかしながら、日本の現行著作権法では、良い摸倣と悪い摸倣を区別するという考え方があまりありません。既存のキャラを使って素晴らしい二次著作物を作るのも、海賊版映画DVDを工場で大量生産するのも同様に複製権の侵害として裁かれる対象となり得るわけです(二次著作物については翻案権も検討対象になりますが)。パロディなども、日本では複製権の問題として扱わざるを得ません(せいぜい、(正当な)引用にあたるかという議論がされるくらいです)。

実は、特許法においては、過去の発明を改良して新たな発明をした場合に、一定の条件のもとでクロスライセンスを行なわせる強制ライセンス的な考え方があります。新しいアイデアは過去の積み重ねから生まれることを前提とした制度です(実際には、企業同士が自発的にクロスライセンスを結ぶことが通常なのであまり使われていないようですが)。これをそのまま無方式主義の著作権法に取り込むのはさすがにムリだと思いますが、長期的には何らかの同様な対応が必要かもしれません。

この辺の議論は中山「著作権法」のp135「二次的著作物の現代的意味」で適切にまとめられています。

アナログ時代から、既存の著作物を改変し新たな著作物を創作することに対して著作権法が介入することに対する批判的思潮は存在したが、デジタル時代においてはその考え方がなお一層強まるであろう。

などと書かれてあります。

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