「です・ます」か「だ・である」か。この悩みを軽やかに飛び越える
»
「です・ます」調で書いていて少々辛いのは、文末の工夫。
「です」「ます」で終わる文章が続くと、どこか子供っぽく感じられます。
自分が子供時代にそういう作文を書いていたからでしょうか。
この悩みを軽やかに飛び越えていて読むたびにハハーッとさせられるのが、
丸谷才一氏の軽妙な随筆。文章の終わりに注意して読まれたし。
昔、電報といふものがあつた。正確を期して言へば、いまでもあることはある。
しかし、電話が普及したせいで、慶弔用にしか使はれなくなったんですね。慶弔用以外には、大学入試の速報と、それからサラ金の催促に使ふんださうです。後者は、何月何日たしかに催促しましたよという證拠になるから。内容證明だの、配達證明だのでやつたんぢや、高くつくのである。やはり、サラ金業者なんてのは、かういふことにかけては頭がいいなあ。
― 「電報譚」(『軽いつづら』所収)
「です・ます」と「だ・である」を交互に用いるのは、一つのテクニックとして
ご本人がどこかで紹介されていたと記憶しています
(そうでなければ僕なんかが気が付くわけないものね)。
あらためて読んでみると、事実やそれに準ずる伝聞は「だ・である」、
自分の意見は「です・ます」というように使い分けられているようです。大まかには。
SpecialPR