オルタナティブ・ブログ > モノを買わなくなった時代、ほな何やったら買うてもええねやろ? >

大量消費をボイコットしはじめた生活者視点からのインサイトメモ

手段と目的について

»

手段であった筈のものは、
往々にして目的に転化してしまいます。

・決済手段であった筈のもの(貨幣)が、目的と化してしまう。
・より良い暮らしを実現する手段である筈のものが、目的と化してしまう。
・国民を守るために存在する筈のものが、自らの存続と権益を守ろうとする。

しかし、世の中は少しずつ、行きつ戻りつしながら、
結果的に、より自由な社会を実現しつつあります。(自然の狡知)

本来、手段であるはずのものを目的にしない。
目的であるはずのものを手段にしない。

そうした目で、
自分の理性と時間を何に振り向けたら良いかを考える。

自分の理性を公的に使用することは、いつでも自由でなければならない。
これに反して自分の理性を私的に使用することは、時として著しく制限されてよい。

他者を手段としてのみならず目的として扱う。

(カント)

Sansho_3




Comment(0)