初のTOEFLテストで、案の定ショックを受ける
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学校にやってきて1ヶ月が経ち、ようやく生活のリズムをつかみかけてきました。相変わらず授業の半分以上は理解できていませんでしたが、それなりにコミュニケーションもとれるようになり、友人も急速に増えてきました。自分なりに、
「がんばってんじゃん、オレ」
と感じられていました。
そんなある日、校長先生に呼び止められ、
「今度の土曜、TOEFLテストを受けにいくからそのつもりで」
と言われました。留学1ヶ月かそこらで目標の500点をクリアするのはどだい無理とは承知しています。今回は、あくまで腕試しと場慣れの意味合いが濃いもので、校長先生もそのつもりだったようです。私も、1回自分の実力を知っておく必要があると思っていたので、「タイミング的にちょっと早いかな」と感じつつも、準備だけはしっかりしておきました。
試験当日、大学入学を控える現高校3年生のエチオピア人留学生7名と私はスクールバスに乗り、開催場所である近所の州立大学キャンパスに向かいました。
全員が初めてのTOEFLだというのに、エチオピア人の友人等は完全なノー・プレッシャーです。まるで、ピクニックにでもでかけるかのような軽いノリで、「試験対策?なにもしていないよ」とどこ吹く風。
対する私は懸命に対策勉強をし、今の自分ができうる限りの準備をして臨みました。(それでも、かなり不安でしたけど)
試験会場は、段々畑のようなすり鉢状の広大な教室でした。様々な皮膚の色の留学生で溢れ返っています。日本人らしき東洋系もチラホラいました。なんだか私以外の全員が英語がぺらぺらで、自分だけが取り残されているような錯覚を味わいます。
指示された場所に着席すると、試験官がテストの概要や注意事項を話し始めました。しかし、舞い上がってしまっている私はろくに内容を聞き取れず、試験が開始されていないのに封印された問題用紙を破ってしまい、怒られる始末。
ショックと緊張の入り混じった精神状態のまま、リスニングテストから始まりました・・・。
さて、数週間後、テスト結果が返ってきました。たしか結果は450点台。ごくありふれた得点です。悪くはないけど、よくもありません。そもそも、大学に要求されている最低ラインの500点に遠く及びません。
エチオピア人留学生らは550点を軽々とオーバー。楽勝で一発クリアってやつです。英語力の差をまじまじと見せつけられてしまいました。
「ジュンジ、初めての割にけっこういい点じゃない!」
と慰めてくれましたが、そう言う彼らも初めてなんですけどね・・・。まあ、実力差からしてこうなるとは薄々わかっていましたが、やっぱり悔しかったです。6年間の義務教育の結果がこれかよ・・・とその日は落ち込んでいました。
「こうなったのは、まだまだ勉強が足らんからだ」と、これを機にさらに勉強に打ち込むようになりました。通常の授業や宿題をこなしつつ、サッカーの練習の前後、食前食後のスキマ時間、週末のフリータイム、しまいには睡眠時間まで切り詰めて英語学習に没頭し始める日々に突入しました。
私が夜中遅くまで勉強しすぎるため、寮を管理する寮長が私のデスクの電球を没収してしまったくらいです。(つまり、強制的に私を寝かそうとしたわけです)私は別の場所から電球を調達しては、夜中にコソコソ人気を気にしながら勉強してました。まるで、いたちごっこのように電球の奪い合いをしていました。
めちゃくちゃ勉強して、知識を詰め込み、傾向と対策を攻略することが、500点クリアへの最短距離なのだと信じて。
それが誤った方法だということに、このときはまだ気がついていませんでした。
つづく
「がんばってんじゃん、オレ」
と感じられていました。
そんなある日、校長先生に呼び止められ、
「今度の土曜、TOEFLテストを受けにいくからそのつもりで」
と言われました。留学1ヶ月かそこらで目標の500点をクリアするのはどだい無理とは承知しています。今回は、あくまで腕試しと場慣れの意味合いが濃いもので、校長先生もそのつもりだったようです。私も、1回自分の実力を知っておく必要があると思っていたので、「タイミング的にちょっと早いかな」と感じつつも、準備だけはしっかりしておきました。
試験当日、大学入学を控える現高校3年生のエチオピア人留学生7名と私はスクールバスに乗り、開催場所である近所の州立大学キャンパスに向かいました。
全員が初めてのTOEFLだというのに、エチオピア人の友人等は完全なノー・プレッシャーです。まるで、ピクニックにでもでかけるかのような軽いノリで、「試験対策?なにもしていないよ」とどこ吹く風。
対する私は懸命に対策勉強をし、今の自分ができうる限りの準備をして臨みました。(それでも、かなり不安でしたけど)
試験会場は、段々畑のようなすり鉢状の広大な教室でした。様々な皮膚の色の留学生で溢れ返っています。日本人らしき東洋系もチラホラいました。なんだか私以外の全員が英語がぺらぺらで、自分だけが取り残されているような錯覚を味わいます。
指示された場所に着席すると、試験官がテストの概要や注意事項を話し始めました。しかし、舞い上がってしまっている私はろくに内容を聞き取れず、試験が開始されていないのに封印された問題用紙を破ってしまい、怒られる始末。
ショックと緊張の入り混じった精神状態のまま、リスニングテストから始まりました・・・。
さて、数週間後、テスト結果が返ってきました。たしか結果は450点台。ごくありふれた得点です。悪くはないけど、よくもありません。そもそも、大学に要求されている最低ラインの500点に遠く及びません。
エチオピア人留学生らは550点を軽々とオーバー。楽勝で一発クリアってやつです。英語力の差をまじまじと見せつけられてしまいました。
「ジュンジ、初めての割にけっこういい点じゃない!」
と慰めてくれましたが、そう言う彼らも初めてなんですけどね・・・。まあ、実力差からしてこうなるとは薄々わかっていましたが、やっぱり悔しかったです。6年間の義務教育の結果がこれかよ・・・とその日は落ち込んでいました。
「こうなったのは、まだまだ勉強が足らんからだ」と、これを機にさらに勉強に打ち込むようになりました。通常の授業や宿題をこなしつつ、サッカーの練習の前後、食前食後のスキマ時間、週末のフリータイム、しまいには睡眠時間まで切り詰めて英語学習に没頭し始める日々に突入しました。
私が夜中遅くまで勉強しすぎるため、寮を管理する寮長が私のデスクの電球を没収してしまったくらいです。(つまり、強制的に私を寝かそうとしたわけです)私は別の場所から電球を調達しては、夜中にコソコソ人気を気にしながら勉強してました。まるで、いたちごっこのように電球の奪い合いをしていました。
めちゃくちゃ勉強して、知識を詰め込み、傾向と対策を攻略することが、500点クリアへの最短距離なのだと信じて。
それが誤った方法だということに、このときはまだ気がついていませんでした。
つづく
代表 中山順司
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