ザッポスCEOトニー・シェイが仕掛けるラスベガス・ダウンタウン大改造作戦
2013年10月に控えた本社移転に伴い、ラスベガス・ダウンタウンの大変身を図るという「ダウンタウン・プロジェクト」。その実態を探りに、9月も末に近づいたある日、トニーに会いにラスベガスを訪れた。
「ダウンタウン・プロジェクトの戦略本部に行ったことはある?」
その質問に首を横に振ると、トニーは席を立って、案内するからと歩き出した。
ラスベガス・ダウンタウンにおける社交の中心地と呼ぶにふさわしい『ザ・ビート・コーヒーハウス』を後に、通りの向かい側に道を渡ると、『Checks Cashed(小切手を現金化します)』という看板が見えてくる。落書きだらけのウインドウをものともせず、トニーは店内に入っていく。
どこに連れて行かれるのかと訝しく思いながら店の入り口をくぐると、そこはブティックだった。突然の変化に戸惑う。路面店舗としては十分に広々とした店内には、カジュアルだがそれでいてひと目見て高級とわかる洋服やジュエリーが品良く並べられている。
アメリカで『小切手換金所』といえば都市のシンボル。それも、たいていの場合、あまり豊かではない地域に位置している。というのも、そういう場所を利用するのは銀行口座を持たない貧しい人か不法滞在者だからだ。だから、私は、『小切手換金所』と見ると、自動的に「貧困」を連想する。その「貧困」のイメージとこぎれいなブティックとのギャップは強烈なものだった。
『Checks Cashed』のほかにはそれらしき看板も見あたらないこのブティックはダウンタウン・プロジェクトの戦略本部と隣り合わせにある。正確にいえば、店の奥の白いドアを開けて中に入ると、そこがダウンタウン・プロジェクトのオフィスだ。そして、このブティックは、トニー・シェイがダウンタウン・プロジェクトの一環として展開しているスモール・ビジネス融資の受益者であるという。
オーナーのサラさんは、きっちりと頭うしろで結んだ黒髪とダークブラウンの瞳が美しいエネルギッシュな女性だ。ラスベガスに来る前は、ロサンゼルスのファッション業界でスタイリストなどをしながら経験を積んだという彼女は、ダウンタウン・プロジェクトの一端を担う誇りと喜びを語ってくれた。
彼女とトニーとの出会いは、もう十年以上も前にザッポスがアウトレット・ストアの展開を始めた時に、彼女がコンサルタントとしてザッポスに雇われた、それ以来であるという。ダウンタウン・プロジェクトが始まった後、ある日、トニーに「お店をやってみる気はあるか」と持ちかけられ、「もちろん」と二つ返事で答えたのだという。
ダウンタウン・プロジェクトのスモール・ビジネス融資において、サラさんはいわばモデル・ケースだ。ダウンタウンにおける小売店舗の運営の先陣を切り、成功例をつくりたいのだ。自分の店を切り盛りするほかに、サラさんは初めて小売店舗の運営を手がけるスモール・ビジネス・オーナーにブランディング指南などメンタリングを提供する。起業家同士が支援しあう、それも、ダウンタウン・プロジェクトの基本精神のひとつだ。
8割以上が失敗に終わるといわれているスモール・ビジネス起業。これを「逆転する」のがダウンタウン・プロジェクトの狙いだ、とサラさんは言う。
天性のショップ・オーナーという雰囲気のサラさんは、実によく喋り、よく笑う。「ユーモアのセンスがおありですね」と私がコメントすると、「スモール・ビジネスの経営者の絶対条件でしょ。ユーモアがなかったら首をくくりたくなっちゃうわ」と間髪をいれずジョークが返ってきた。
その瞬間、「ダウンタウン・プロジェクトの構想」に関するトニーの一言が頭によみがえった。
「オープン、コラボレーション、創造性、楽観的視野。そんな価値観を共有できる人たちを集めるんだ」
サラさんのような人はまさしく、ダウンタウン・プロジェクトの象徴だと思った。
ダウンタウン・プロジェクトは、寂れた都市にただ資金をつぎ込んで、ビジネスを誘致するだけの都市開発ではない。たいていの場合、「店をつくれば人は来る」という理論は働かない。もちろん、先立つものがなくてはいけない。だから、いわば導火線に火をつけるためにトニー・シェイの3.5億ドルがあるわけだが、トニーが力を入れているのは、むしろ、「情熱をもった人たちを集める」ことだ。
情熱をもった人たちを集めて、出会いの機会をつくる。そうすれば、みんなの情熱が起爆剤になって、何か大きいこと、面白いことが起きる。
ザッポスの社員2000人、恵まれない学校区に教師を派遣する非営利団体Teach for America(ティーチ・フォー・アメリカ)のボランティア1000人、スモール・ビジネス起業家、テック起業家、アーティストやミュージシャンのコミュニティ、ファッションのコミュニティ・・・。情熱と志をもったコミュニティが交じり合い、ぶつかりあうことによって、イノベーションが次々と際限なく生まれる土壌ができる。
多くの企業が、社内の「イノベーション風土」を育てるすべを模索している中で、会社の垣根をこえて、会社を取り巻く地域環境をそっくり「イノベーションにふさわしい環境」にしてしまおうというトニー・シェイのビジョンに改めて脱帽したのだった。脱帽したのだった。