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ダウンタウン・プロジェクト(2012年9月):トニー・シェイが見せてくれた壮大なビジョン

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「幸せ」について考えている。トニー・シェイが一生をかけて追求したテーマが「幸せ」だった。

幸せとは何だろう。それはどんな感覚を伴うものだろう。高揚感? 平穏? 痛みや苦しみがないこと?

その人が「幸せ」を感じているかどうかなんて、それは本人にしかわからないことだけれども、12年間を通して撮りためたトニー・シェイの写真の中で、いつ見てもひときわ輝いている一枚がある。写真の中のトニーは最高に「幸せ」そうに見える。

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それは2012年の9月に、当時、トニーとその仲間のお気に入りの場所だった『ザ・ビート・コーヒーハウス』で、ザッポスのコア・バリュー創成に携わった重鎮であり、トニーの腹心の友でもあったクリスタ・フォーリーと並んで撮ったものだ。

2010年11月にザッポス本社がラスベガスのダウンタウンにある「ラスベガス市庁舎」の建物に移転することが発表され、その大がかりな改装工事が着々と進んでいた。そして、「世界で最もコミュニティ・フォーカスな都市をつくる!」という壮大なビジョンを掲げ、トニー自らのポケットマネー350億円を投じてダウンタウンの町おこしプロジェクトが走り出したばかりだった。

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「トニー・シェイが一番ノッていた頃」。その写真を見るたびに私はそう思う。一年後の2013年9月には新社屋のグランド・オープニングを迎えるのだが、その頃のトニー・シェイはまさに「ノリノリ」だった。

写真が撮られた2012年9月27日には、私は「ダウンタウン・プロジェクト」と新社屋の近況についてトニーに話を聞くためにラスベガスを訪れていた。その際、思いがけずトニーからダウンタウン・プロジェクトのプライベート・ツアーを受けた。トニーの足取りは軽快で、しかしその足の動きよりもさらに速くトニーの頭脳は動いている感じだった。未来のザッポス、そしてダウンタウンの「あるべき姿」が彼の内なる目には見えていたのだと思う。

トニーをはじめダウンタウン・プロジェクト・チームの宿泊所だった『オグデン』というラグジュアリー・マンションの最上階から、まだ空地の多かったダウンタウンの風景を眺めた。トニーの部屋には、ダウンタウン開発に関するアイデアを書き留めた色とりどりのポストイットが壁一面を埋めていた。

ところで、私はその日の夜、ダウンタウン・プロジェクトのゲストとして『オグデン』に泊った。トニー/ダウンタウン・プロジェクトはオグデンの最上階とその下の階の40室を所有し、ゲストハウスとして活用していたのだ。のちに、起業家やアーティストなどの「クリエイティブ・クラス」をダウンタウンに誘致するためのワイルドなパーティの場として知られたオグデンだったが、その夜は静かなものだった。

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次に連れていかれたのは『小切手換金所(Checks Cashed)』の看板のあるこじゃれたブティックだった。かつてロサンゼルスのエンターテイメント業界でスタイリストとして活躍したというオーナーのサラさんは、ダウンタウン・プロジェクトのスモール・ビジネス助成金でオープンしたブティックを切り盛りする傍ら、同じくダウンタウン・プロジェクトの資金援助を受けている起業家の相談役も務めていた。彼女もまた、トニーのビジョンに魅せられたひとりだった。サラさんのブティックの最も奥まで入り込んだところにレジがあり、レジの後ろのドアを開けると、その向こうにはまるで隠れ家のようなダウンタウン・プロジェクトの作戦本部があった。トニーはそこにも私を招待してくれた。

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ラスベガスのダウンタウンはトニーの手中にあり、世界がトニーを中心に回っているかのようだった。しかしそんなトニーにも心配事がないわけではなかった。冒頭の写真はその日の終わりに、『ザ・ビート・コーヒーハウス』に戻り、ザッポスの近況についてトニーとクリスタをインタビューした最中に撮ったものだが、その時、トニーは「企業文化の希薄化」の懸念について話してくれた。創業から13年、アマゾンの傘下に入り安定したザッポスは過渡期を迎えていた。勤続年数が二年未満の人が社員の約半数を占めていた。彼らにとっては、入社一日目からザッポスは既に「有名企業」であり、コア・バリューを守り立ててきた古株社員と彼らとの間には、企業文化に対する思い入れにも温度差があった。

そんな懸念にも関わらずトニーはアップビートだった。厄介な困りごとというよりは、解決すべき課題として捉えていた。トニーは2004年にザッポスがサンフランシスコからラスベガスに移転した時のことを話してくれた。ラスベガスという新しい土地に縁(ゆかり)のなかった社員たちが、共に暮らし、飲み食いし、遊ぶことによってどんなに絆を深めたか。ある意味、ダウンタウンへの移転はその歴史を再現しようという試みだった。社員が共に働き、暮らし、遊ぶ場所を創ることにより、トニーはザッポスの結束を新たに強固なものにしようとしたのだ。

そればかりではなく、起業家、テクノロジー、アート、ミュージック、ファッション・・・、そういった諸々のクリエイティビティが衝突し、融合し、新しい何かを産み出す起爆剤となる「新天地」をトニーは創ろうとしていた。2012年9月のラスベガスのダウンタウンは、トニーだけではない、たくさんの人たちの夢がひしめき合い、ざわめいていた。

数多くの出会いやインタビューの舞台となったあの懐かしい『ザ・ビート・コーヒハウス』はもう存在しない。ただ、トニーが種を撒いたダウンタウン復興の夢はまだ続いている。さびれていた街並みに希望の灯をともしたトニーのビジョンに改めて敬意を表したい。

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