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盛り上がるブレストばかりが良いブレストじゃない。沈黙も含めて大事にしたい。(アイデア・デザイン・創造学を研究しているといろんなTipsに触れます。600文字で紹介します。)

【問い】自分なりの発想法を構築するときに心がけたほうがよいことは?

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ブレインストーミングのサポートツールを作る、という変わったことを仕事しています。 アイデアプラント 代表 石井力重です。

アイデア関連のことについて頂いた質問に答えてみる、という試み、第5弾、です。正しくは昨日の問いの後半部分にフォーカスを当てて展開します。


【問い】

質問です。発想法が役に立たない場面はどんな時でしょうか?あと、自分なりの発想法を構築するときに心がけたほうがよいことはありますか?

(前半部分は、昨日のブログにて、回答にトライしてみています)


【回答】

私は、基本的には、発想法というのは、我流で、自分勝手な使い方をするのがよい、と思っています。

創造性という、起動スイッチやハンドルが曖昧な「X」をうまく、スタートさせ加速させて、舵を切れることが、もっとも(発想法の)本質価値だと思います。なので、自分の内なる声が「なんかさ、、、ここって、何度やっても不自然だよな、ってか、人工的すぎ?、うーん、もっとさぁ、ここは、なんというか、こんな感じの方がよくね・・?」と感じる時には、その声を大事にして、荒っぽくてもアレンジを効かせるするべきだと思います。それが、即興の荒いものであっても、この場限りしか成り立たない一時的なものであったとしても。

特に、思うのですが、左利きの人に右筆を矯正するようなことは、創造的な能力の発現においていえば、本当にばかばかしい矯正だとおもいます。もちろん、具現化して他者にも提供する何かを形作るようなところにはそこには、流儀や作法というものや、配慮すべきことってのはたくさんありますが、それはそれとして、創造の初期段階、ゼロから何かを紬だすようなときには、自分の能力いっぱいに軽快に力を使えるスタイルで動くべきです。

(もちろん、型を学ぶことには、全く否定的ではないです。むしろ私は肯定的です。型を知るから、型破りな新しいやり方、つまり、熟達の上のその上のさらに独自化がなされる、とおもいます。守破離(しゅ・は・り)(※)、という概念には、高い所へあがりたい人には、すでに整備された道を歩いて、さらにそれを踏み台にして、無い道の先へ高く飛び上れ、という構造がありますが、そういうことです。)

(※私はなぜか、守破離、これを、ジョ・ハ・リ、と人前で言い間違えることが多いです。序破急(ジョ・ハ・キュウ)と、守破離が混ざって、ジョハリの窓という単語という近い音の言葉があるせいだと思いますが。すみません、余談でした。講義ワークショップなどで、いつも言い間違ってしまうので、聴講してくださった方へのアフターフォローとして。。)

話を戻します。

デ・ボノが水平思考に関する文献の中で次のような概念を言っています。人間の思考は傾いた蝋の平板の上に細い湯の流れを落とすようなものだと。最初はふらつきながら水脈を形成して流れていく。二度目は一度目の流れの後が凹むのでその溝に導かれるように沿いながらやや早めにながれる。何度も流すとその溝は深くなり、さっとそこを通る。

人間の認知における強化を面白いモノで表現していると思います。

このモデルが示唆するところはたくさんあります。最初に、自分の蝋の盤面にながされる流れがへたくそだと、変な繰り返しをゆくことになり、労多くして益少ないことになります。また、Goodだとおもっても、1つしかないとすべてをその展開で処理しようとします。金槌を持ったものはすべてが釘に見える。全部を、ハンマーでたたいて処理しようとしてしまう。そうならないためには、一度できた深い溝を、しばし蝋で塞いで封印して、新しい湯の流れを時々描いてやることだと思います。それはまた、試行錯誤の曖昧の中を行くこういで、すでに進んでしまった快適体験をした人には、くるしい時間を過ごすことになります。いわば、柔道の達人が、別の武道を習うところのようです。そこの領域で、ゼロベースで学ばない人は、いわば蝋の溝にふたができていない感じなのですがそうなると、その人は、変な癖をつけてしまいます。新しい武道の方でも、柔道の方でも。そして、どちらも低い状態にしてしまいます。

なので、苦しいとしても、初学者に戻り、一番新米としてそこに学び、あるところまで達したら、1つ目の体術を開放する。そうすることで、二筋の蝋のながれはともに、深く強いまま、同時の熟達技量として使えるようになります。

型を学ぶ、というときに、2系統目の方を学ぶときにはこんな処理がいると思っています。(心の中で頭を下げて)初学者に戻り、新しいものを学ぶための奮闘をする。三系統目も、四系統目も。

そうしていくつかの熟達技量をもつと、それらを組み合わせて展開することができます。機に応じて即興で組み替えたり、部分的に取り込んだり。それらの中には、パターン、となるような、ベスト組み合わせもでてきて、それらの組み合わせは、さらにさらに深くなり、つなぎ目のがきっとしたところも滑らかになり、次第に、独自の一つの形になります。

買ってきたシャツを、わざとクタクタにするような、そんな心理様式にもにているかもしれませんが、そんな感じだと思います。

質問して下さった方は、知的生産のことに非常に長けた方なので、釈迦に説法、と笑われてしまうかもしれませんが、私なりに回答を試みてみました。




追記)

ちなみに、「そんなプロ級とかのことじゃなくて、ベンチャーで普段ブレストしてんだけど、もっと、自分たちにあう方法をさくっと構築する方法ってないの?なんつーか、こう、、、これさえやっとけばOK!みたいなさ。」という問いも、想定としてありえます。

そういう問いたてを自らしてみて、そこにも、答えてみます。

「これさえやっとけばOK!」という魔法のような技法があるかと言えば、私はないと思います。社会も市場も人もずっと変化していくので、その社会環境の中で構築された発想技法、創造技法というのは、必ず陳腐化していきます。そうして、次の時代にはまた鳴り物入りで
「決定版!万能な発想法ついに登場」みたいな勢いでまた、新しいものでてきます。ふるい文献でも頻繁に、盛者必衰が見えます。

でも、短い期間、たとえば、半年とか、長く見ても3年、、、いや、18か月ぐらいなら、「これ1つで戦おう」という感じのものがあってもいいかなと思います。

そういう短い期間の賞味期限であれば、自社のやり方を構築することは、割と可能です。

1)発想のプロセスをスモールステップで書いてもらう。

自分のも、社内の人のも。自分の推奨したい他者の人や他業界でも、整合性がないものでも、OK。活動に参画しているその集団のメンバーに書いてもらう。

2)ちぎって、つなげ、巨大なプロセスにする

集まったものを大きな模造紙になげいれて、全部を使って大きなプロセスにする。大抵は、循環していたり、条件分岐が複雑になったりします。あまり複雑になるところは「シーケンス」な「ステップ」の形にしないで「パラレル」な「リスト」の形にして、構造を作らないで起きます。大変ですしね、ち密に流れをつくるのも。

3)削ぐ。徹底的に、削ぐ。

これがないと意味をなさないというところまで、削ぎます。惜しいけれども削ぎます。削いで削いでその先に残った部分に、多少の補いをいれて、基本の発想法にします。

これで完成ですが、もったいないので

4)削ぎ落したものは「オプションの発想技法」としてストックしておく。

自社標準の発想法で、足りないとき、イレギュラーなときにはそのステップステップの所でべつの発想法の選択肢も引き出せるようにしておきます。

とします。


或いは、、、1人でやっている人なら、どうするか。

一人でやっている人ならば「こうしたら、よくない?」という感じに複数の発想法を恣意的に組み合わせ、違和感のあるところ、思考の流れ上の人工物っぽさを、何度かやってこすって滑らかにするだけでいいと思います。

それが、あまりいい方法じゃなかったときはどうするかって?

その時は、自分が気づきます。

やってだめだら、変えてみる。

そういう、川の水みたいなものであろうとすることが、もっとも、持っておきたい心がけ、かなあ、と私は思います。
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