津波との闘い(Challenge against Super-Tsunami) その1 大津波の常襲地の三陸の未来計画 (Future Plan for Sanriku Area against Super-Tsunami)(想像図付き)
津波との闘い(Challenge against Super-Tsunami) その1
大津波の常襲地の三陸の未来計画
(Future Plan for Sanriku Area against Super-Tsunami)
私はすごく怖がりだ。
世界中様々な国、様々な海岸のホテルに宿泊し、美しい海岸を見る度に、いつも頭に津波のことが浮かんでいた。
「今、この瞬間に津波が...」と考えてしまうのだった。日本のように、海外では津波警報はない。
スマトラ島沖大地震による巨大な津波の映像を見て、心底怖いと思った。信じられない人数の死者と行方不明者は、一瞬の大波に襲われた。
今回の津波は、更に恐ろしいことに、三陸地方のありとあらゆる場所で、放送メディアや高い場所に逃げた人々の携帯の動画で撮影されて、全世界に送られた。
これほど詳細の津波の大被災が発生している状況の動画のリアルタイムの撮影と資料は、人類の歴史にない。
三陸地方の津波の被災は、江戸時代に何度かあり、明治時代以降も、
大津波名称 死者・行方不明
①明治三陸津波(1896.6.15) 22,000人
②昭和三陸津波(1933.3.3) 3,064人
③チリ津波(1960.5.24) 122人
そして、今回は
④東日本大震災津波(2011.3.11) 27,000人
となっている。
このように、三陸地方は、世界最悪の津波発生による被災地帯である。
東日本大震災では、更に、何十万戸の住宅や建築物が破壊された。昔と比べると、これら豊かな海を持つ三陸地方の人口は遥かに多くなっていた。
一体、被災された方々は、今後、どうしたら良いのだろうか。どこに住めばよいのだろうか。
ずばり、答えは『高所移転』である。
今村明恒博士(1870-1948)は、明治時代の日本の地震学の中心で、上司の教授の反対にも関わらず、関東大震災を予言し公表し、海底の地殻変動を津波の発生の原因として提唱している。今村博士は、数度にわたる三陸海岸の大津波被災に、一貫して『高所移転』を説いてまわった。
今村教授は生涯、地震と津波を研究した方である。詳しくは、東北大学出版会の「津波の恐怖 -三陸津波伝承録」(山下文男著)に出ている。前述のデータも、本書によるものだ。
津波の水位と水勢の最大高さを超えるところに住むことで、津波の被害を防げるのは事実だが、土地不足、誰もが高所を希望することから、高所移転も、簡単ではない。
また昔から住んでいる家を離れたくないという町の人々の心理や、滅多に津波がくるわけではないという誤解、生存者がほとんどいなかった村に新しく入ってきた村民は、恐怖感を実感できなかったともいわれている。人生に何度もあるものではないという思い込みなども災いする。
「ヌルヌル地震」といって震度3程度の比較的小さく感じた地震で、強烈に大きな津波に襲われることがある。その場合、まったく逃げずに無防備のまま突然津波に襲われた。(明治三陸津波)
すでに過去の津波で、高所移転が進んで、かなり険峻なところにも家が建てられて、逆に今度は過剰な土地開発のための土石流の被災に遭う家も出た。
漁業とそれに関係した仕事の場合は、あまりにも海岸と離れてしまうと、仕事にならない。昔と違い現在は車があるので比較的遠くの山の上でも、仕事にができるようになってきている。
"完全に安全な防潮堤"を作らない限り、低地で安全な場所はない。高所に住み、海辺で仕事をしている場合は、警報で直ちに逃げ込める津波シェルターを、一定区域に1つずつ作ることだ。そこに5分で逃げ込めるというシェルターである。
三陸被災地復興の素案
(1) 高所移転(Transfer to live on Higher Land)
復興の一つの提案としては、水没し、津波に襲われた海岸に接した地域は、国が買い取り、被災者救済の一歩としてはどうだろうか。そのような場所を広大な公園化することなどが考えられる。
三陸地方の高所の土地利用もかなり限界にきているとすれば、もう最適の高さの土地は国が買い取るかして、そこに集合団地的な漁業向けの住宅をつくることで、地域の漁業を保護する以外にない。新しい時代の漁業集団が生まれるのではないだろうか。
(2) 漁船を大津波から守れないか(How to Protect Ships and Boats)
漁業の船が津波で徹底的に破壊されてしまうことも、何か技術でカバーできないだろうか。今回は、転覆した漁船のエンジンの燃料が津波で水面に拡がり、火災を起こしたのではないだろうか。船はある程度の荒波に耐えるようになっていることから、船の係留では、水面が(たとえ10メートルほどでも)上がっても、水面の上昇に従って、船体が垂直に上下するように船の係留を考えてはどうか。駐船装置を考えてはどうだろうか。
(3) 電気自動車化を進める (Use of Electric Vehicle)
津波地区では、車は今後、すべて電気自動車化することで、海岸での燃料は、津波に耐えるものが必要だ。ガソリンなど、燃えやすいものが津波の火災の原因になることを避けなければならない。
(4) 津波に無防備な地区の建築(Specification of housing in Sanriku Area)
津波に襲われる場所での建築の仕様は、今まで考えられていない。破壊された場合にも瓦礫化しないものを考えることも必要となる。
(5) 津波防災の訓練を常時行う (Constant Trainings)
大津波被災地域にては、一定の期間宿泊する場合には、観光客といえども、シェルターへの避難訓練など、津波に対処する一定の事前の知識と予行演習を必要とするだろう。今村博士の主張だ。
(6) 津波の恐ろしさと防災教育、防災博物館(Tsunami Education, Tsunami Museums)
今回のような自然災害に対しては、徹底的に小学校から教え込むことが必要だ。更に一番被災のひどかった数か所には、津波博物館を作り、津波の恐ろしさを伝えなければならない。これも今村博士が生涯訴えていたことだ。
もっとも大切なことは、どんなに津波対策をしていても、津波警報で、安全なところに逃げることであろう。絶対安全はいまのところ無い。
(7) 津波シェルターの考案 (Super-Tsunami Shelters)
① 津波耐久建物の確立 (Super-Tsunami Protected Building)
今までの最大の津波以上の十分な仕様で、津波耐久のシェルター建物を建てることが基本だろう。(もちろん同時に防津波堤も必要)
津波シェルターとしては、5分程度で逃げ込め、一定の区画ごとに津波シェルタービルを建設し、それらの建物は、巨大な津波が押し寄せても、船が流されてぶつかっても、大丈夫な仕様とデザインが必要となる。
海水が20メートル程度上がって、引いても、建物には何らダメージを与えないような高い建築設計のシェルターを多数建設することだ。これは規格化することとプレファブ化することで、建設コストを下げることができるだろう。
② 津波に浮くシェルターボート
(Concept of Shelter Rescue Boats floating on Tsunami)
見方を変えてみると、逃げ切れない場合に、人間が入れる丈夫な鋼鉄や丈夫なFRP球体か、そら豆状の完全防水気密カプセルに入り、水に浮き、津波に翻弄されるままにする。通信設備を持っていることから、沖に流されても、発見が簡単となる。
③ 地下埋め込み式密閉、防水の球体シェルター (Underground Super-Tsunami Shelter)
小高い丘に、耐圧の鋼鉄防水球体シェルターを地中に埋めて、上部は鉄筋コンクリートで固めてある。その球体中に逃げ込む。吸気用の耐圧パイプを数十メートル地上に伸ばし、シュノーケルにて水没時は、潜水艦と同じハッチで閉じて、水の流入を阻止し、空気中では、シェルターに空気を取り入れる。酸素吸入、エアフィルター、食料、通信設備なども完備する。出入り口は、数か所設けて、万が一のトラブルを防ぐ。
津波シェルターでは、色々なアイデアを募り、試験をして、実用化していくことだ。
(8) 津波の力を弱化する流体力学的水中、海岸建造物の研究
(How to weaken Tsunami Power around Sanriku Sawtooth Coastline)
もっと大事な研究が必要だ。それはリアス式の海岸で、いかに津波を弱化、減衰させることができるかということだ。今回の地震では、明らかに松島の多数の島が、津波を弱めた。そのおかげで、松島町と東松島町の被害に大きな差が生じた。
リアス式は急激に深くなっているが、その途中で、巨大なコンクリートの平板を斜めに突きだすことはできないだろうか。あるいは、リアス式の海岸の湾の入り口で、入ってくる波を邪魔するような防潮突堤を作り、外からの波が阻害されて、お互いに力を相殺することはできないか。
リアス式の湾の水中の構造を少し変えることで、津波が加速されないように、あるいは、力を殺ぐようにできないだろうか。専門家の意見を聞きたい。
[私は恐ろしい津波に関しては、自分で体験したわけでなく、ここではさまざまな可能性と発想を書いているに過ぎない。無責任で軽々しいと言われても仕方がないが、専門家の思考の発端となるべく提案を懸命に考えてみた。許していただきたい。津波が多くの人命を奪っていったことを、このままにしておけないという気持ちでいっぱいだ]