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商社マンの営業として33年間(うち海外生活21年間)、国内外で様々な体験をした。更に、アイデアマラソンのノートには、思いつきを書き続けて27年間、読者の参考になるエピソードや体験がたくさんある。今まで3年半、ITmediaのビジネスコラム「樋口健夫の笑うアイデア動かす発想」で毎週コラムを書き続けてきたが、私の体験や発想をさらに広く提供することが読者の参考になるはずと思い、ブログを開設することにした。一読されれば「読むワクチン」として、効果があるだろう。

着陸失敗にも度胸の軍人

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飛行機珍体験集 
着陸失敗にも度胸の軍人

 ナイジェリアに駐在していた時に、北中部の都市カドゥナへ出張した。
 飛行機はいつも混んでいた。予約をしていても、オーバーブックとなっていて、誰もが飛行機に乗るのに必死だった。

 ナイジェリア航空の当時の飛行機の搭乗では、いくつかの色の搭乗券を何度でも使う、いわゆる使いまわしの搭乗券だったので、時にそれを悪用して、予約していない者が、搭乗券を見せて、さっさと飛行機に乗り込んでいくこともあった。座席は、ファーストクラスとかビジネスクラスが無くて、全くの自由席だった。
 
 当時の飛行機の乗り方は、とにかくぐずぐずしないで、さっさと飛行機に乗ること。通路側には座らない。必ず窓側に座ること。切符の写しを手に持っていることだった。シートベルトの端を握って、梃子でも動かないという姿勢を取ることだった。
オーバーブックになると、乗員が全乗客の切符の写しを調べる。切符の写しを持っていないと、飛行機の外につまみだされることになる。

 時には、切符の写しを持っていても、追い出されることもあった。
軍人や政府のVIPが急に出張するという時は、切符もへちまもなく、VIPたちは単に空港に来て、席を取る。そうなると、一般の市民も、我々外国人も、まったく無視されて、席を明けさせられる。

 軍人や政府のVIPは前から3列目までを占領することが多かったから、私は、①早く搭乗、②前から4列目より後ろの席の窓側、③切符の写しを持ち、④シートベルトをしてその端をしっかりと握る。というのを、ナイジェリアでの賢い飛行機の乗り方にしていた。
その日も、全員が座ったあと、細い指揮棒を持った軍人が二人乗ってきて、前の3列の乗客を、問答無用で追い出した。後ろに席が空いていれば、ラッキーだったが、まずは難しいだろう。私は4列目の真ん中に座っていた。
 
 しばらくして将官が乗り込んできた。私は彼の顔を知っていた。当時の北中部州の知事で、内戦の時の立役者の一人で有名な将軍だった。新聞でも頻繁に登場する。当時、ナイジェリアは、軍事政権だった。
 その将軍がお付きの軍人を二人一緒に搭乗してきて、3列の9席に3名が座った。と、同時に機のドアが閉まり、ラゴス空港を出発した。
離陸も問題なく、ボーイング707か727だったと思う。私の斜め前に将軍が座っていて、彼は新聞を読んでいた。背が高く、ハンサムだった。黒人は軍服がきわめてよく似合う。
 1時間半で、カドゥナに到着予定で、高度をどんどん下げていたが、窓から外の景色を見ていると、すでに空港の滑走路の上をかなり過ぎて、高度が高すぎたようだ。
「あれ、おかしいな」と見ていたら、途中から、「ガオーン」と、エンジン音がフルになり、飛行機は急上昇し始めた。要は、着陸に失敗したのだ。その時に、飛行機は戦闘機のように、右翼を下に、斜めに急上昇していく。乗客全員が、「わああ」とか、「ぎゃああ」とか騒いだ。
 
 飛行機が墜落する時は、あのような声をみんなが立てるのだと分かったが、私も声を出していた。こんな旅客機が、斜めに急上昇していくなんて、初めての体験だった。斜め横に発射されたミサイルのように上昇し始めた。

「失速しないでくれ」と、手に汗を握っていた。右側窓が地上と並行になっていたが、徐々に持ち直した。

 その時、私は何気なく、前列の真ん中の将軍を見た。彼は新聞を見ていた顔を、ちらっと外に向けて、ニヤッとしただけで、また新聞に戻っていった。一言も、叫びも、驚きもしなかった。実に堂々としていた。

 上空で、機体の平衡を取り戻し、機長が、
「びっくりさせて、もうしわけない。着陸をやり直しします。心配はありません」とアナウンスした。そして、ぐるりとまわって、着陸態勢にはいり、無事にカドゥナの空港に降り立った。乗客全員が着陸した後、拍手したのをおぼえている。将軍知事はにこにこ笑っていた。
 さすが軍人の将軍だけある。肝っ玉が違うと、私はすごく感心したことをおぼえている。

 それから3か月ほど後、ナイジェリアでは、軍事クーデター未遂(つまり失敗)が起こり、軍人が約50名ほど逮捕され、全員処刑された。下級の兵士は、海岸にたてられた砂のドラムに括りつけられ、銃殺刑に処された。

 着陸失敗の時に同乗した将軍知事も、クーデターの首謀者の一人として、逮捕され、秘密軍事法廷で死刑が宣告され、兵舎の中で銃殺刑になった。
 厳しい思い出だ。

教訓 栄枯盛衰、諸行無常。人間の運命は、いつどのように、変わっていくのか、分からないものだ。

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