「120歳まで生きる」は本当に幸せなのか――不老長寿が問い直す人生と社会のリデザイン
生命科学の急速な進歩によって、「不老長寿」がSFではなく、現実のテーマとして語られ始めている。もし健康なまま100歳、120歳まで生きられるようになったら、私たちの人生や社会はどう変わるのか。
G1関西の分科会「AI・ヘルステックが実現する不老長寿社会 人類はどう進化するか」では、博報堂100年生活者研究所所長の大高香世氏、服部天神宮禰宜の加藤大志氏、大阪大学名誉教授の吉森保氏、TAZ代表取締役社長の高橋祥子氏が、この問いを多角的に議論した。
「寿命」より「最後まで元気」が重要
生命科学の立場から吉森氏が強調したのは、老化は必ずしも生物にとって不可避な現象ではないということだ。
30年にわたりオートファジーを研究してきた吉森氏は、老化のメカニズムの理解が進み、近い将来、老化を抑制したり、ある程度若返らせたりする介入が可能になると考えている。
一方で、目指すべきは単純な寿命の延長ではない。日本では平均寿命と健康寿命の間に約10年の差があり、人生の最後の10年間を健康上の問題を抱えて過ごす人も少なくない。吉森氏は「寿命を伸ばすことより、最後まで元気でいられるかどうかの方がずっと重要」と指摘する。
また、吉森氏らの小規模な探索的試験では、食事や睡眠などを組み合わせることで、認知力、筋力、免疫力などに改善が見られたという。高額なテクノロジーだけが先行すれば、「健康長寿格差社会」になりかねないという問題意識も示され、誰もが享受できる形での健康長寿社会の実現が研究されているという。
「100歳まで生きたい」は3割
科学は「100歳、120歳まで生きられる可能性」を広げようとしている。一方で、人々の側は必ずしもそれを望んでいるわけではない。
大高氏によれば、100年生活者研究所の調査では、「100歳まで生きたい」と考える人は約3割にとどまる。高齢者へのインタビューでは「健康なら生きたい」という声がある一方、寝たきりになってまで生きたくないという意見も多い。さらに、「健康で寝たきりにならない」と条件を付けても、なお100歳まで生きたいとは思わない人が多いという。
その背景にあるのは、長い人生の先に何があるのかという問題だ。65歳で仕事を終えた後、何をして35年間を過ごすのか。「明日を楽しみにできる」未来が描けなければ、長く生きることに希望を見出せない。
そこで重要になるのが、人生を「教育20年、仕事40年、老後20年」のように区切る従来の人生モデルではなく、学び直しや地域貢献などを交えて、家族と過ごすといった複数のステージを繰り返す「マルチステージ」の生き方をデザインしていくことで、日々の楽しみを生み出すことが求められる。
長寿社会の最大の問題は、寿命を延ばすことではなく、延びた人生に意味をつくれるか、と言えよう。
120歳社会では、60歳は老後ではなくなる
加藤氏は、100歳、120歳が当たり前になれば、社会の儀礼や人と人とのつながりが変わると指摘した。
120歳社会では、還暦の60歳は「老後」ではなく人生の折り返しになる。その後60年間を、どのような節目で区切り、社会との関係を更新していくのか。長寿化が進むと、地域の人々と接し、関係性を更新する機会が減少し、深刻な孤独を生み出しかねないという懸念もある。
加藤氏が語ったのは、神社などにおける「共同体儀礼」の役割だ。人生の節目に人が集まり、地域とのつながりを確認する。長寿社会では、こうした仕組みが孤独を防ぐうえでも重要になる可能性がある。
加藤氏が提示したのは「中今(なかいま)」――過去と未来の間にある「今」を生きるという時間感覚だ。短期的な成果や合理性だけで物事を判断するのではなく、過去からの積み重ねの上に今の自分が生かされ、それが未来へと繋がっていくという感覚を持つことが重要だ。
120歳まで生きるなら、人生をすべて計画通りに進めるのではなく、偶然を活かし、ご縁に感謝する生き方が、大切になるだろう。
長寿社会に必要なのは「寿命」だけではない
長寿社会では、同じ「シニア」でも、価値観も消費行動も人生の目的も大きく異なる。大高氏は、企業も「高齢者向け」という発想から、個々人の人生や意欲に向き合う発想へ転換する必要があると言う。
吉森氏が強調したのは「好奇心」だった。68歳の吉森氏自身、まだ10年、20年とやりたいことがあり、「余生」という感覚はないという。
問われるのは「いかに寿命を延ばすか」「何歳まで生きられるか」だけではない。むしろ、「長くなった人生の目的は」「何を学び、何を生み出し、誰とつながるのか」という問いの方が重要になる。
AIや生命科学が人間の寿命の限界を押し広げるとき、私たちが再設計しなければならないのは、生命だけではない。仕事、教育、企業、地域社会をどうアップデートするのか。そして人間らしい豊かさの再定義というテーマなのかもしれない。
寿命が延びたら、あなたはどうするのか?
ここまでの議論は、「長く生きられる社会」をどうつくるかという話だった。では、その社会で私たちは実際にどう生きるのか。会場からの質問は、より具体的な問いを投げかけた。
■ 高齢者は何にお金を使うのか?
大高氏は、今後のシニア消費のキーワードとして「応援消費」を示す。毎日300円を「つもり貯金」して、月9000円を使って若い女性が働く店に通う76歳の男性の例では、「若い世代を応援したい」という思いがあるとのこと。
長寿社会のシニア市場では、自分のための商品だけでなく、自分なりのサイズで若者を応援したいという心理が、新たな消費の原動力になり得るという。
■ 「健康でなければならない」から自由になれるか?
「健康でなければならない」という価値観が、本人や周囲への負担になることはないだろうか。長寿社会とは、健康な人だけが長く生きる社会ではなく、病気や障害を抱えていても、それぞれが自分らしい人生を長く生きられる社会なのではないか。
大高氏は、WHOの健康の考え方にも触れながら、健康を「病気があるかないか」だけで捉えるのではなく、「自分がいいと思える状態」と考えることが重要だと語った。病気や障害があって「不便」であっても、それがイコール「不幸」ではない。心身の衰えや障害を抱えながらも生き生きと暮らす人々の姿を世の中に提示していくことが大切だと強調した。
■ 組織・権限の継承はどうなる?
長寿化すれば、企業だけでなく社会のさまざまな場面で、「経験を持つ世代から次の世代へ、いつ、どう権限を渡すのか」という問題が生じる。
これに対して加藤氏が示したのが、「祭り」だ。神輿を一緒に担ぐといった身体的な共通体験と、その後の直会(なおらい)での共食を通じて世代を超えたつながりをつくる。こうした仕組みが、次世代への継承のヒントになるのではないか。
問われているのは、「何歳まで生きるか」ではなく、「長くなる人生をどう生きるか」なのだ。
不老長寿が現実になろうとしている今、リデザインすべきなのは、生命だけではない。人生、仕事、組織、地域社会、そして健康そのものの意味なのかもしれない。