感動が涙を誘う
米国ミズーリ州にあるセイントジョセフ市(St.Joseph)にあるMissouri Western State Collegeで最初の2年間を寮で生活した経験がある。1976年頃の話だ。日本も米国も景気が良かった。Good Old Daysを思い出す。
週末に街のスーパーで買い物をしていた。レジでお金を支払おうとしたら、1ドル足りないことに気がついた。どうしても、この時に買い物をしなければならなかったので一瞬頭がパニックになっていた。
後ろで待っていた中年のおじさんがそっと私に1ドル紙幣を渡してくれた。面識もないアメリカ人のおじさんだ。ビックリしたが、ありがたく頂いた。その後で・・・
How can I thank you? と言ってどの様に感謝をしたら良いか戸惑っていた。生まれて初めて見知らぬ方から助けられた。
彼は、名前も言わずそっとスーパーを出て行った。
ちょっとした出来事であったが、日本から離れた遠い留学先の街でビックリするような親切を受けると後で涙がどっと流れだした。
困っているときにこんな形で助けられるとジ~ンと心に響く。見知らぬ方からの親切は、海外でも日本でも何度も経験したがそのたびに感動して涙が出た。
なぜ、そんなに親切なのか?
困っている時ほど親切な行為に感動する。助けられたという思いだ。それに尽きる。私は、過去に多くの方から無償の親切を頂いた。そのお陰で今横浜のビジネスパークにあるスターバックスで記事を書けている。
今日は、体が疲れていたのでスポーツセンターでWork-outをしてきた。汗を出して新陳代謝を良くしてきた。気分は、爽快。爽快な気分でコーヒーを飲みながらインターネットにつなげて仕事をしている。
インターネットに繋がる場所であれば「どこでもオフィス」になる。これが、私が望んだWork-Lifeの一部だ。
誰かに助けられた経験がない人はいるだろうか?
想像するに人生で一度や二度親切な方に助けられた経験を誰でもがしているのではないか。それらは、全て無償の親切ではないだろうか。
困っている人がいたら自分の器の範囲で進んで助けなさい。そんな言葉が心の奥底から聞こえてくる。誰もを助けることは出来ないかも知れないが、自分の器の範囲で助けられる人は一人や二人いるだろう。
スポーツセンターの中で70歳前後のおばあさんが、ボトルのキャップをリサイクルする用途で置かれた容器に入れようとしていた。容器は、キャップを一つ一つ入れる口しかなかったように見えた。たくさんキャップを集めてわざわざ持ってきたようだ。
おばあさんは、容器の蓋を開けて一度にキャップを入れることが出来ないか考えていたようなので手を差し伸べた。容器の蓋の下にフタを開ける取っ手があるのを見つけたのだ。それをつかんで開けてあげた。
ちょっとした事だが、過去に受けた無償の親切を少しは返せたのではないだろうか。ビジネスを展開していても困ることは有り過ぎるほどある。みんな何らかのことで困っている。
だからこそ、
助けることが出来る人は自分の器の範囲で無償の親切をする。そうすると回りまわって自分が困っているときに助けられる。
僕らは、みんな繋がって生きている証拠だ。
CMSホームページについて分からないことなどがありましたら、お尋ね下さい。無償の親切です。