ありがとう、川西さん。
川西さんが亡くなってから早くも1週間が過ぎてしまいました。
今日まで、川西さんの訃報についてブログに書く気がなかなか起きなかったのですが、今回の事実をしっかりと受け止めて行かなければならないと思い、このブログに綴っておこうと思います。Twitter や Facebook などで川西さんに関する投稿を見るたびに、いまだに目頭が熱くなります。こんな気持ちは親父をなくして以来かもしれません。
既にご存知の方もたくさんいらしゃると思いますが、弊社エバンジェリストの川西裕幸さんは昨年 12 月 21 日の帰宅途中に交通事故にあい、1か月の懸命の治療の甲斐もなく 2012 年 1 月 20 日に帰らぬ人となってしまいました。
川西さんと初めて話をしたのがいつだったのか、マイクロソフト入社前だったか、入社後だったか、まったく覚えていませんが、気付いた時には、技術話から日常会話まで、何でも気さくにできる、私にとってよき大先輩でありアドバイザーでした。お昼になるとほぼ毎日キッチンで愛妻弁当を食べる川西さんの姿をいまでも鮮明に思い出すことができます。
PDC2008 参加のため LA にいった時、時差ボケ解消!といって川西さんと二人で到着初日の LA ダウンタウンを歩き回ったり、ホテルから1ブロック程離れた(確かイタリアン)レストランに夕食を食べにいったことなど、いまでも鮮明に覚えています。そのレストランでは、川西さんが Bass PALEALE を飲みたいといってオーダーしたものの、出てきたビールが Bass とは程遠い味だったため、店員に英語でクレームを言っていたことを覚えています。当時ほとんど英語が話せなかった私は、その川西さんの姿を見て、こんなふうに英語で言い合えるくらいになりたいな、と思った覚えがあります。また昨年は、シアトルで開催された弊社社員向け技術イベントで、川西さんは日本人初のセッションスピーカーを担当していました(もちろん英語で)。私もいつかは英語でセッションをやってみたいと思ったと同時に、その後の 9 月からの 3 か月間の米国本社出張への大きな励みになったことは間違いありません。
手元の PC に残っていた川西さんの写真 (こちらは PDC09 にて撮影)
私たちは偉大な人を失ってしまいました。私たちというのはマイクロソフト社員だけをさすのではなく、IT エンジニアすべての人に当てはまるでしょう。それだけ川西さんの影響力や功績は素晴らしいものでした。
同じエバンジェリストとして、IT エンジニアとして、技術オタクとして、川西さんの生き方から多くを学びました。今度は、私たちが川西さんの思いを受け継ぎ、恩返しをしていかなければいけません。
川西さんは、この先もずっと私たちの心の中に生き続けるでしょう。川西さんに出会えて本当に良かったと、心の底から思います。