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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

オープン・システムを考える

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昨年もそうだったのだが大学の授業で半期の後半にさしかかる頃には、オープン・システムを考える、といったような題目で講義を行なうことにしている。結構無意識に使ってしまう事が多い「オープン・システム」という言葉の意味するところは何なのかを、一度じっくりと考えてみようというわけだ。おそらくこの言葉は従来のホスト中心の集中型コンピューティングに対するアンチテーゼとして、分散型という新しい流行が生まれた1980年代に登場したのだと思う。

僕自身IBM iという名のシステム(かつてのAS/400)の製品企画に関わってきた経験上、この言葉に対しては結構神経質である。オフコンという言葉で括られることが多いこのコンピュータは、オープン・システムのコミュニティーにとっては恰好の攻撃の的である。使い勝手の良さと引き換えに、ベンダー固有の技術で固められたこの手のサーバーは、複数ベンダー製品の混在を許す分散型コンピュータの世界には馴染みにくそうである。だから製品説明の機会に、独自の設計思想を持つものの、今や実現できることは他のサーバーと変わらないといった説明を一通り終えると、「でもオープン・システムじゃないんでしょ」と一撃でトドメを刺すかのような声が上がることが度々であった。「オープン・システム」とは、元々は「オープンなシステム」という意味だったはずなのが、いつの頃からか固有名詞化しており、逆に「オープン・システム」でなければオープンではないという見方にすり替わってしまっているのだろう。そもそも何を持ってオープンだと言うのか、使っている本人の頭の中ですらその定義自体があやふやだったりするのである。

当初はこういった声が上がるとやはり来たかとばかりに、反論(実は結構周到に用意してある)を試みていたのであるが、相手がオープン・システム信者だったりすると、宗教論争みたいなもので何を言っても無駄である。ならばとばかり、途中で戦術を転換してみることにした。状況が許す場合は、「ではどんなシステムがオープン・システムですか」と質問してみる。するとせいぜいいくつかの具体的な製品名が挙がるとか、数多くのベンダーから提供されるツールとかアプリケーションの選択肢の幅が広い、といった回答が返ってくる。それらを一つのシステムに組み上げたり、障害対応を含めて維持・運用したりする際の手間隙について相手の見解を問うと、複数ベンダーゆえの大変さに対する懸念も一方ではあったりする。もしくは追加コストをかけてSI業者にこのあたりを委ねるケースもあるかもしれない。単純図式化すると、このワークロードないしコスト積み上げ分と、製品選択肢の広さとを天秤にかけて、どちらを重要視するかという二者択一に過ぎないのではないかと水を向けてみると、何となく決着が着くようである。

授業ではオープン・システム登場の背景から始め、クローズとされるシステムのその後を示す一方で、オープン・システムと言っておきながらオープンではない矛盾性にも言及する。技術的視点だけに留まらず、保守性などにも話を拡げて検証して行くと、「オープン・システム」でなければならない理由が次第に希薄になってくる。結局のところこの手のレッテルに踊らされることなく、システムを見極めてゆかねばならないということなのだろう。

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