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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

お遊びテニスを始めてみた

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娘がテニスを始めた。「エースを狙え」が流行っているわけでもない。何の弾みか知らないけれど、近所の友達に春休みのテニス教室に誘われたから、4日間ほどお試し的に練習したに過ぎない。そこで終わればどうということもないのだが、面白かったためかもっとやりたいんだそうだ。近所の広場に無料で練習できるスペースもあることだし、妻にせよ僕にせよかつてほんの少しだけかじったこともあるので、ついでだから親の分もラケットを買って時々やるかというところまで話が拡大してしまった。だからテニスを始めたのは娘だけでなくて、家族総出というのが正確なところだ。何かを始めるのに遅過ぎることはないとはよく言われるが、正直言って僕自身は技術的にも体力的にもあまり自信はないんだけどな。

だからここのところ晴天の週末の一度は必ず練習場通いである。技術が伴わなくてラリーなんぞ続くはずがないので、最初は地道に手で投げたボールを娘に打ち返させる練習にお付き合いをする。ボールが真直ぐ返ってくる事なんぞまずないので、せいぜい2個の手持ちボールを使い切ると、壁打ちコート中を玉拾いに歩き回る。疲れるので走らない。ゆったりのんびりした練習である。気合を入れて打ちまくっている人が近くにいたりすると、ボールがあちこちに飛んで行ってしまい、集中を途切らせてしまうようで申し訳ないような気になる。普通ならばお互い様というわけだろうが、こっちが一方的に相手の「領地」を侵食していたりするのである。

どうしてもラリーをしないと気が済まないという程に気合が入っているわけでもないので、僕の分として持って行くラケットは、レシーブ用というよりも、実は玉拾いの道具だったり、ボールがお隣さんを侵食しそうになるのを防ぐための盾の代わりだったりというのが主な用途である。そして天気が良いと、玉拾いで歩き回るだけでも軽く汗ばんだりする。それで十分に動いた気がするのだから、いかに普段運動していないかがわかろうというものだ。

先日の「お隣さん」は、バケツ一杯のボールを持ってひたすらにサーブの練習をやっていた。気合を入れて一球打つ度に首を傾げたり頷いたりしながら、まるで道を究めようとしている修行僧のような面持ちである。ただひたすらにネットぎりぎりを狙って速いボールを打つ事に執念を燃やしている。絶滅種だと思っていたけど、今でもこういう人種って残っているんだな。こういうのって決まっておじさんだったりするのである。そして先日の「お隣の見知らぬおじさん」は、2球毎に玉拾いをしている僕を気の毒に思ったのか、捨てるつもりだから良かったら持って行って、というわけで少々気が抜けてはいたが、ボール2個を譲ってくれた。以降の玉拾いが楽になったのは言うまでもない。そしてその日は、ちょびっと得をしたねと娘と話し合いながら帰路についたのである。

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