行列の向こうにある『かりんとう』
僕は並ぶのが嫌いだ。だからわざわざ行列のできる店に出かけていって、何10分も、いやもしかしたら1時間以上もただひたすらに待たされた挙句、ようやくの思いで物を買うとか、レストランに入ろうなどと思わない。そもそもそれだけ待つ価値がある味なのかどうか疑問である。並んでいる方もそれだけの価値を確信しているわけではなくて、せいぜい雑誌やTVの宣伝を見たとか、他の人達も並んでいるから、といった程度の動機に違いない。などと言うと、頭が固いと言われるのだけれど。
こんな思い込みにもかかわらず、最近妻から「ミッション」が下り、東京駅地下の某かりんとう店に箱入りのを買いに行くはめになった。元ご近所さんで遠方に越していった人に、東京ならではの品を送る必要があるのだそうだ。確かにその店では今は通信販売を行っていないので、現地店舗まで足を運ばないと目指す品物を手に入れることは不可能である。何でも当初は実施していたのだが、マスコミで取り上げられて以来注文が殺到し、通信販売をさばき切れなくなったのがその理由だとか。それにしても何でかりんとうなんだ。いわゆる駄菓子ではないのか。わざわざ地方に送るような代物かと反論したところ、その人気の度合いをとうとうと述べた挙句、有名だし美味しいし(僕は食べたことないから知らない)家にも欲しいからついでに買ってきて欲しいというわけだ。
で仕方なく出張帰りの土曜日の昼過ぎにしぶしぶ現地に出向いたのである。人でごった返しているものと想像していたけれど大したことないじゃないか。ああ良かった、と思っていたら、行列を管理する牧羊犬のような店員がいて、通路の反対側では羊がおとなしく長蛇の列を作っている。そして何頭かのグループ毎に、前の組の用事が済む頃を見計らって、順次店へと誘導している。といった趣の風景が展開されていたのである。羊になって「待て」の命令を20分以上守った後に、ようやく店にたどり着くことができた。たかがかりんとう、されどかりんとう、というわけで、量だけを見ればべらぼうな値段ではあるが、確かに従来のかりんとうのイメージとは違う美味さがあるのは認める。これだけの金を払ってもまあよいだろうと思う。ただ、労力に見合うような気がしない。また買ってねと言われたのだが、人出が途絶えない限りあの店にはもう二度と行きたくない。だからと言って、20分を惜しむような生活をしているのかと問われると、全くそのようなことはないのだが。
それにしても行列と聞くと異様に燃え上がる人種はいるようで、開店する2時間近くも前から某ドーナツ屋に並んだ、といった武勇伝の持ち主を知っている。客を待たせるのって、サービス・レベルの低さであることに違いないと思うのだが、営業活動上はそれを逆手に取れているわけだ。ブランド力の違いだろうな。ついでながらこの知人は、たかがドーナツ、されどドーナツに1万円近くも投じたらしい。お陰様で我が家にも少々のおすそわけがあった。神様のような人だ。お礼に今度かりんとうでも買いに行くか。