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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

課題論文と格闘する話

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学生から提出された課題の論文を週末に集中的に読んでみた。娘のバレエの練習が土日曜日に連続してあったので遊んでもらえないし、この梅雨空の下でなかなか外出する気にならなかったので、久し振りにプチ引きこもりである。数多くの学生の力作を読むには、平日少しずつというと効率もよろしくないので、短期間に一気に作業を進めるに限る。

ソフトファイルによる提出だと、例えばいくらでもWIKIなどからコピーすることで分量まで増やせてしまうので、手書きを条件とした。これならば丸写しはできないだろうし、仮にどこかからか借用するにしても、一旦理解しなければ書くことは困難だろう。そして、課題はかなり自由度の高いものであって、論旨が明確で技術的に妥当性がある限り、極端な話、何を書いてもよしとしてある。授業内容にお構いなく調べた限りの事を力一杯書いているものがあったし、自主的にグループ研究を行なったと思しき成果を書き並べているものもあった。単に読むだけであれば、論文にバリエーションがあるので飽きることはない。そう来たかと思われるものや、うそだろう、と突っ込みを入れたくなるものもある。どこかのメーカーの宣伝文句的なものまで並んでいる。これも調べた挙句たどり着いたわけなのだろうから、まあいいか。

ただ、評価をしなければならない立場からすると、実はこれは非常に困る状況であることに気が付いた。要するに評価基準の設定が困難なのである。何かキーワードが決まっていて、その登場の有無と説明の正確性を問うのであれば、ある意味評価は楽かもしれない。そういったものがない状況下では、数多くの論文を読んで評価しながら選り分けているうちに、どうしても基準がずれていってしまう。どのあたりを評価基準とするべきかを決めるために、まずはざっと一通りは読んでみなくてはならない。そしてこうと決めたらそれに従って上中下の3段階程度に一旦選り分けて、さらにこの初期の評価を調整しながら、全体を最終的なABCDの4段階に分類し直すこととした。だから少なくとも全論文を3回は読むことになってしまった。結構な手間である。でも学生の立場からすると、成績表に影響するわけだし、ある意味では生活がかかっているので、あまりいい加減なこともできない。少なくとも今年の僕は、真面目な教員なのだから。

とにかく読んで選り分けてという作業を延々と何度か繰り返した。人数調整の意識をしたわけではないのだが、結果的に中位の成績を中心に上位・下位へと人数が減ってゆくような分布になった。評価基準を一定に保つことができたので、こうなったのだと思うことにしよう。

自分でまいた種でもあるので今回は観念するが、こういうやり方はもうやめた方がよさそうだ。次回はもっと採点基準を明確にしやすい課題にしよう。先日の大学のアンケートに、期末テストは実施しないとしたので、その代わりに成績評価のためにも前期末論文の課題を決めて発表しなければならない。そろそろ7月だし、案はほぼ練りあがりつつあるのだ。

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