ストレスとお付き合いしない方法
ストレスに関する僕の勝手な解釈は、自分の能力やコントロールのできる範囲を超えるかもしれない事態において、何らかの対処をすることを求められた時に発生する。要するに「できそうもないな」と思っているのに、周囲から「何とかしろ」と言われるのがつらいのである。「そんなこと言ったって、どうしたらよいのかわからないんだもん」と感じているにも関わらず、理不尽な要求であることを相手にわからせることができないと、ストレスを受けてしまうのだろう。
最近僕は自分ではあまり仕事上のストレスを感じたことがない。できそうにない事に対しては、「できない」とか「わからない」と言えば良いと単純に割り切っている。でも僕自身も若い頃は臆病だったので、なかなかそのように言い切る事はなかなかできなかった。何だか自分の可能性を限定してしまうような気がしたので、少々の無理は承知の上で、否定的な返事をすることを回避していたような気がする。お客様の要望なんだから「製品の機能改善を是非実現して欲しい」「絶対に何とかしろ」と言われると、可能性の有無を問わずとにかく取り組まなければならないという、課題(場合によっては無理難題)に駆り立てられる思いがした。きっとこういう時はストレスを受けた状態にあったのだろう。
ストレスを自覚しないということは、無理をしなくなったことの裏返しなのかもしれない。自分ができないと思ったことは、他の誰にもできないのだと思い込む。無理難題はどこがどのように無謀なのかを相手に説けばよいし、達成の可能性が低いのであれば予めその旨説明すればよい。要望が妥当でないと思えば、別の妥当な案を模索するべきだと主張すればよい。交渉術の一つとしてよく言われるのは、相手と対決することではなく、相手の課題に対して一緒にベストな解決策を模索することだそうではないか。そして自分一人で何もかも背負い込むことがなければ、プレッシャーも感じない。でももしかしたら、自分が感じない分、周囲にストレスをまき散らかしているのかもしれない。本当は周囲の人達が感じているかもしれないストレスを、軽減するお手伝いをしなければいけないはずなのだが。う~ん、時々反省してみよう。
会社内オフィスの脇には自動販売機があって、寒い時期は当然のことながら暖かい飲み物も売っている。缶入りホット・コーヒーなんてありきたりの物もあるのだけれど、僕が密かに狙っているのは缶入り「しるこ」である。小豆の粒がそのまま入っていて、午後になってそろそろエンジンオイルが切れる頃に飲むと、じきにパワーが復活してくる。缶の蓋を開けて逆さにして振って、ようやく最後の一粒を口にすることができれば、単純に幸せである。辛党の人はさすがに日中アルコールを補充するわけにはいかないけれども、僕はいつでもOKだもんね。いつでも安上がりに事を済ませることができるのは、甘党の強みなのだ。